しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。 - ヘブル人への手紙 11章16節

2011年4月7日木曜日

音楽と僕#1:「ピアノ」

全5回で「音楽と僕」について書きたいと思ってます。(もしかしたらもっと書くかもしれません)
これまでの自分の歩みを振り返り整理すると共に、今現在、どのような意味を見出しているかを書き綴っていこうと思っています。駄文になる可能性大ですが(苦笑)、どうぞお付き合い下さい。

                       

そんなに知られていませんが、実は僕、ピアノが弾けます。
実は礼拝奏楽もしたことがあります。
今はもう下手すぎて人に聴かせることなんてできませんが…
でも、いつかコード弾きならセンスよく弾けるくらいになりたいな、とこっそり思ってます。
そんな野望はあります。
その「いつか」がいつ来るのかはわかりませんが…笑

さて、そんな僕ですが、ピアノは大嫌いでした。
幼稚園の年中辺りから小6まで約8年間習っていたのですが、
ピアノを弾くのも、習いに行くのも、辛い時間でした。

幼稚園の頃は、ピアノ教室へ行くのが嫌で、
押入れの中に隠れたりしていたのを覚えています。
すぐに見つかって連れて行かれたり、
罪悪感からか、ぎりぎりの時間に渋々出てきたり、
…と、そんな風に当時の僕なりに抵抗していました。

何が嫌だったかというと、
通っていたピアノ教室には、女の子しかいなかったからです。
そういえば、その内のひとりがいじめっ子で、
僕はよく泣かされてたような気がします。
あの頃は泣き虫だった…笑
もしかしたら、ピアノを弾いていた環境が嫌だったのかもしれませんね。

これが僕にとっての音楽でした。
いや、「音を楽しむ」ことが出来ず、苦しんでいた。
だから、「音苦」かもしれない。(「苦音」のが自然な響きですね)

まぁ、そんな嫌いなピアノでしたが、
今の僕は、ピアノを習っていたことに感謝しています。
楽譜を読めるし。
ピアノのお陰なのか、ギターの上達が早かった。
作曲をする上での助けにもなった。

そのような技術的な事にばかり目を留めていましたが、
最近になって気付かされたのは、
これがあったからこそ今の自分が形成されている、という事実です。

ピアノ嫌い(≒音楽嫌い)がギターと出会い、
ギターとの出会いにより、音楽を好きになり、
それを通して、出会った信仰の友との交わりが深められ、
その交わりの中で幼き信仰が少しずつ少しずつ育まれ、
神の言葉への信頼へと結びつきました。
(この辺の事についてはこれから少しずつ書いていく予定です)

恐らく他にも多くのものが、今の僕の信仰形成に影響を与えているのですが、
今の僕自身が見えているものでいうならば、ピアノはその先駆けとなっていました。
神様の計画の奥深さに圧倒されっぱなしです。
わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。(エレミヤ29:11)
(続く)