しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。 - ヘブル人への手紙 11章16節

2011年5月29日日曜日

神学生な日々#3:「今週楽しみにしていること」

最近、1週間が早く感じるようになってきました。
これは、神学校での生活に慣れてきた証拠でしょう。
最近ブログの更新頻度が落ちてますが、元気にやっています。
(出来る限り、週1更新は守っていきたいと思ってます)

今週は3つ楽しみな事があります。

①キャンパーとの食事
明日、ふたりの男子高校生と一緒に夕飯を食べに行く予定です。
彼らは、僕が高2のときに、奥多摩の小学生キャンプで初めて受け持った子たち。
あれから6年が経っています。当時小6だった彼らは今は高3。
初めて会ったときの僕の年齡を越えている事に気づき、とても驚かされています。
そんな彼らと一緒にプライベートで食事の交わりが持てるのは感慨深いです。
これで元気をもらって、今週も一週間頑張る予定です。

②主事会セミナー
毎月第一金曜日に、KGK事務所へ行き、学び会に出席しています。
前期は、U先生による「学生伝道の歴史」についての学び。
毎回多くの事を教えられる学びのときなのです。
久しぶりに御茶ノ水に行く予定なので、時間があったら、神保町の古本屋さんにでも行こうかな。

③ALL日大
3月に卒業した日大。そこで一緒に学内活動をしていた仲間たちと再会します。
現役生と卒業生の合同祈祷会。
僕が1年生の頃に始まったもので、今年で5年目。
9月に行われるものが、記念すべき10回目だということを後輩たちは把握しているだろうか?笑
まぁ、それは置いといて、
今年は粋の良い新入生がたくさん与えられたようなので、
彼らに会えるのをとても楽しみにしています。
卒業してからも、この愛すべき交わりに戻って行く機会が与えられているのは、感謝なことです。
これを楽しみに、明日からの授業を頑張る予定です。


*報告
6/27(月)-7/1(金)に、東北へボランティアへ行くことになりました。
祈りに覚えて頂けたら幸いです。

2011年5月23日月曜日

モレノ#3:「スーツと聖書」

教会月報『モレノ』(Monthly Report of the church of the Nazarene in Oyama)に掲載した原稿をアップします。

                               

スーツと聖書』(教会月報「モレノ」2011年6月号掲載)

【慌ただしい連休】
今年のゴールデンウィークは、まさかの11連休でした。勉強に時間を割ける!と喜んでいたのですが、急遽葬儀の予定が入ったり、墓前礼拝、帰省、結婚披露パーティに出席するなど、慌ただしい連休になってしまいました。そのため、思うように勉強を進めることが出来なかったのはとても残念だったのですが、とても感謝な出来事がありました。

【破れたスーツ】
5/5(木)、KGKの主事の結婚披露宴パーティに出席し、その帰りに僕は階段を一段踏み外して転んでしまいました。怪我はなかったのですが、スーツのズボンが破けてしまいました。奉仕教会の三軒茶屋教会には毎週スーツで行っているので、急いで何とかする必要があり、予想外の出費と自分の失態に落ち込みながらスーツを買いに、翌日、賑やかな渋谷の街へと僕は出ていきました。
ズボンを修繕、もしくは新調できたらよかったのですが、店員さんに聞いてみたところ、スーツ一式新調する方がコスト的に良いことがわかったので、スーツを新調することになりました。

【備えられていたもの】
神学生になってから、僕はスーツで出掛ける機会が増えたのですが、どのように着こなせばいいのか(主にネクタイ、シャツの組み合わせが)を考えながら毎回スーツを着ていました。折角の機会なので、今回、店員さんに色々聞きながらスーツを選びました。
そのときした質問のひとつが、「僕は今学生で、キリスト教会の牧師になる勉強をしているのですが、日曜日に教会へ行く際、どのようなスーツがいいでしょうか?」という無茶な質問だったのですが、店員さんは真剣に考えてくださると共に、「実は、高校生のときキリスト教系の学校に行っていたんです」と教えてくれました。スーツを選びながら話をしていく中で「実は旧約聖書が好きだったんですけど、卒業するとき聖書を捨ててしまって、今は後悔しているんです」と店員さんは教えて下さり、翌日スーツを受け取りに行くとき、聖書をプレゼントする約束をしました。
どうにか翌日のスーツ受け取りまでに新品の聖書(新旧両約)が手に入らないかと、その日に会った人たちに聞いてみたところ、感謝なことにKGK(キリスト者学生会)の事務所で新改訳聖書第三版を無料で頂くことができました。
そして、翌日、三軒茶屋教会の案内(石川先生がわざわざ作ってくださいました!)を挟んだ聖書を店員さんに渡すことができました。すべてのことが、この店員さんに聖書を届ける働きに繋がっていたのだと気付かされました。
今回、まさかこのようにしてスーツの破れ目が、人と神とをつなぐ事につながるとは思いもしませんでした。「スーツを選ぶことにおいても、神の栄光を現す」ということなのでしょう。直接福音を語ることが許されたわけではありません。今の僕に見えることのみでいうならば、結果として与えられている事は、聖書と教会案内を渡したことのみです。きっと、それすらも神様がスーツの新調を通して用意していた事なのでしょう。すべてのことが備えられていました。聖書を渡すだけに終わらず、この店員さんがいつか教会に足を運ぶ機会が与えられることを心から願い、祈るばかりです。

【渋谷という街に遣わされて】
渋谷の街を歩いていると、この街ですれ違う多くの人々に福音を届けるのはとても困難に感じます。渋谷という街で地域宣教するということの難しさを感じずにはいられません。しかし、今回、地域宣教について深く考えさせられました。街で出会う人々との交わりを通して福音を宣べ伝える。それはどのような場所に置かれても、変わらずに僕らに求められているのでしょう。
だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。(Ⅰコリント10:31)

2011年5月16日月曜日

神学生な日々#2:「ギリシア語はじめました」

11連休が終わり、先週から授業が本格的になってきました。
今年はM先生が以前から言っていた通り、ギリシア語と教会史が大変そうです。
なので、そこに力を注いでいく一年になりそうです。
ギリシア語を挫折せずに、この1年で習得できるようにお祈りいただけたら幸いです。

*聖書をギリシャ語で読める日が来るのが楽しみです^^

2011年5月10日火曜日

10年

先日、23歳になりました。

「大学入学して1年目。きっと働いているんだろうな」
と、僕は高校の頃思ってました。
まさかまだ学生だとは当時は思いもしなかった!笑
そんな「まさか」な日々を過ごしています。

ここ数年気付くことは、自分が昔の事を振り返るとき、
「10年前」という感覚が出てきた事です。
少しずつ、少しずつその頻度が増していく。

誕生日の日、twitterで中学時代の友人が、
「もう知り合ってから10年たってるとか、びっくり。」
と言っていて、驚きました。
(そういえば、小学生の頃からの友人たちは16年になるんだね笑)
何だか不思議な感覚を覚えます。

今後、これが「20年前」、「30年前」になってきて、
そうやって懐かしむ頻度が増える度、
また違った驚きを覚えていくんだろうと思います。
そういう意味で、歳を重ねることって楽しみだとも思うんです。
そうやって歳を重ねたとき、今僕の内にからし種程度しかない「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」(ガラテヤ5:22,23)が、豊かな実を結んでいることを心から願う。


*23歳の抱負は、「良い基礎を築くこと」です。

2011年5月5日木曜日

動き出した時計

先日、実家に帰ったとき、かれこれ10年以上止まっていた時計の鐘が鳴っていて驚いた。
未だに続く余震の影響で直ったのだろう。
動き出した時計、その鐘を聞く度に幼少時代を思い出します。
小さい頃、あの鐘が鳴った時、家の中でその音を聞いていた事を。
いや、寧ろ今までこの時計が小さいころ動いていた事さえ忘れていた。
鐘の音で突然思い出した。
何が引き金となって、記憶を呼び戻すかもわからないのだな、と実感。
25年ぶりに東京に戻ってきて、たくさんの事を思い出しているという、
奉仕教会の牧師の言葉を思い出した。
(もちろん、思い出すもの全てが喜べるものではないのだろうけど、)
忘れていた記憶との再会。それはとても心踊らされる出来頃です。

2011年5月3日火曜日

連休前半戦

連休の前半戦が終わった。

連休初日は、教団(関東地区)の墓前礼拝へ出席。
5/1、実家に帰省。
翌日東京へ戻り、葬儀(前夜式、告別式)に出席。

慌ただしい日々だった。
その中で多くの涙と出会った。
僕は、大切な人を失った人たちに掛ける言葉を持ち合わせていない。
それがよくわかった。
しかし、人の無力さを覚える中で、
福音の与える希望は、確かに光り輝いていた。
姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」 イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。(ヨハネによる福音書11:3-5)