しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。 - ヘブル人への手紙 11章16節

2013年2月17日日曜日

モレノ#22:「ヘブライ人への手紙と礼拝説教」


教会月報『モレノ』(Monthly Report of the church of the Nazarene in Oyama)に掲載した原稿をアップします。

                               

ヘブライ人への手紙と礼拝説教』(教会月報「モレノ」2013年2月号掲載)

【いよいよ最終学年】

いつもお祈りありがとうございます。今年度も残り僅かとなりました。来年度は3年生になります。いよいよ最終学年です。小山教会の皆さんの支えがあるからこそ、これまでの神学校での生活と学びが守られました。1年後には、卒論も終わり、牧会する教会も決まっている予定です。牧会者として立たされる時が近づいていると思うと、不安を覚え、焦る気持ちもありますが、急な成長はできませんので、目の前に備えられていることを誠実に、コツコツと取り組んで行きたいと思います。引き続きお祈りよろしくお願いします。

【ヘブライ人への手紙との対話】
卒論で取り組むことに決めたので、今年は出来る限りヘブライ人への手紙から説教をしようと考えています。必要な資料を少しずつ読み進めて、この手紙と対話をしています。その中で気付かされるのは、この手紙が説教のようなものであるということです。手紙の著者(説教者)が、読者(聴衆)に語りかける姿が浮かんできます。説得の技法や文章の構造を知る度に、説教学の授業を受けているような感覚を覚えながら、この学びを進めています。この一年間を通して、この手紙に対する理解が深まっていくことが楽しみで仕方がありません。

【青葉台教会での最後の礼拝説教】
2/10(日)は青葉台教会での礼拝説教でした(もちろん、ヘブライ人への手紙から!)。前回青葉台教会で説教奉仕をしたのは7月。前回は、青葉台教会に行き始めて4ヶ月目での奉仕だったので、語る対象である教会の方々のことがよくわからず、どのような言葉を紡ぐべきかわからず、苦しんだことを覚えています。
あれから7ヶ月。今回の説教奉仕は、語っている自分自身が前回との違いをとても強く感じました。具体的に何が違っていたかを言葉にするのは難しいのですが、伝えたいと願う言葉がそこに確かにありました。教会の方々との交わりがあるからこそ、紡がれていった言葉だったと思わされます。今回の説教奉仕の喜びのひとつでした。青葉台教会での最後の礼拝説教奉仕を喜びの内に終えてることができ、とても感謝でした。お祈りありがとうございます。

【お祈りください】
・残り1ヶ月の青葉台教会での奉仕と交わりのために。2/10(日)の礼拝説教が守られ感謝。
・今年度のナザレン神学校での学びのために。特にヘブライ語の習得と卒論準備のためにお祈りください。
・来年度、神学校で共に学ぶ新入生のために。彼らの入試準備のために。
・日々、健康が守られるように。

2013年2月13日

2013年2月10日日曜日

説教#21:「私たちの見つめる先にあるもの」


今日、青葉台教会の礼拝で説教奉仕をさせて頂く機会を与えられました。祈りに覚えてくださったみなさん、感謝します。
*原稿、及び音源は青葉台教会のwebページにも掲載されています

『私たちの見つめる先にあるもの』
聖書 ヘブライ人への手紙12:1〜3
日時 2013年2月10日(日) 礼拝
場所 日本ナザレン教団・青葉台教会