説教#90:「我らは礼拝の民」
『我らは礼拝の民 』 聖書 創世記8:6-22、ローマの信徒への手紙12:1-2 日時 2015年 10月 25日(日) 礼拝 場所 小岩教会(日本ナザレン教団) 【外の状況を把握できない箱舟に乗った人々】 ノアが生きた時代、大洪水に襲われた世界は、水で覆われていました。 その水の上を、ノアとその家族、動物たちを乗せた箱舟は、 長い間漂っていました。 聖書の記述を見る限り、それはおよそ1年間にも及ぶ長い日々でした。 箱舟に乗ったものたちにとって、箱舟に乗った1年間はとても長く、 いつ降りることが出来るかもわからない、 永遠に続くような時間だったことでしょう。 彼らは、世界を覆う水が引いていき、 再び、乾いた大地が現れる日を、ひたすら待ち続けたのです。 天からの雨が降り止んだ150日後、山々の頂きが現れ始めました。 その40日後、ノアは窓を開き、外の様子を伺おうとしました。 箱舟は、怒涛のように押し寄せてくる水から、身を守るために作られたため、 窓を多く作ることも、大きく作ることも出来なかったことでしょう。 そのため、箱舟についている窓から、 外の様子を完全に把握することは出来ず、 知りうることは限られていました。 ですから、ノアは外の様子を知るために、鳥を用いたのです。 コンパスのない時代、船乗りたちにとって、 鳥を連れて行くことは、なくてはならない航海上の慣習だったようです。 鳥を放ち、その鳥が飛んでいく方向によって、 彼らは陸地の方角を見定めることが出来たそうです。 ノアは、古代の船乗りたちの慣習と同じことをしているのだと思います。 乾いた大地はあるのか。 そして、その乾いた大地は何処にあるのかを正しく見定めるために、 自分が置かれている状況を知るために、ノアは鳥を放ったのです。