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2月, 2016の投稿を表示しています

説教#106:「真理に属する共同体」

「真理に属する共同体」 聖書 ヨハネによる福音書18:28-40、エレミヤ書1:9-10 2016年2月28日 礼拝、小岩教会 【ユダヤ人にとっての「トーラー」】 誰もがきっと守るべき何かを持っているでしょう。  家族や信念、文化、習慣、信仰など、守るべきものは人によって違います。  イエス様を捕らえたユダヤ人たちにとって、守るべきものは「律法」でした。 旧約聖書の時代から、「律法」は、 「教え」や「導き」を意味する「トーラー」という言葉で呼ばれ、 ユダヤ人たちに親しまれてきました。 そして、神からの恵みの贈り物であり、  旧約聖書の時代から守られてきた神の言葉である、トーラーは、  彼らに日々、真理を教え、その生涯を導くものとして愛されてきました。  このトーラーについて、詩篇の詩人はこのように歌っています。  あなたの御言葉は、わたしの道の光  わたしの歩みを照らす灯。(詩篇119:105) 神の言葉である、トーラーを守ることが、 ユダヤ人にとって、何よりも大切なものであったことを、 この詩編を通して知ることができるでしょう。

説教#105:「鶏は何度鳴いた?」

「鶏は何度鳴いた?」  聖書 ヨハネによる福音書18:15-27、士師記2:8-15  2016年2月21日 礼拝、小岩教会(日本ナザレン教団) 【ペトロの三度の否定】 イエス様は、兵士たちやユダヤ人の下役たちに、 ゲツセマネの園で捕らえられた後、アンナスのもとへ連れて行かれました。 この当時の大祭司はカイアファという人でしたが、 アンナスは、カイアファの前任の大祭司であり、 大祭司を退職した後も、強い影響力を持っていました。 そのため、大祭司カイアファのもとへイエス様を連れて行かせる前に、 アンナスは、自分のもとへイエス様を連れてこさせたのです。 さて、この時、アンナスのもとへ連れて行かれる イエス様の後を追う2人の弟子たちがいたと、ヨハネは報告しています。 それは、「十二弟子」のリーダーであるシモン・ペトロと、 「もう一人の弟子」と呼ばれている人物でした。 イエス様がゲツセマネの園で逮捕された時、 彼らはイエス様を見捨てて逃げてしまいましたが(マルコ14:50)、 どうやら気を取り直して、イエス様の後を追ったようです。 ヨハネによれば、ペトロと一緒にイエス様の後を追った、 「もう一人の弟子」と呼ばれている人物は、 アンナスと知り合いだったようです。 そのため、彼は一緒に来たペトロを連れて、 アンナスの屋敷の中庭にまで入ることができました。 すべての福音書に記されているあの有名な事件が起こったのは、 この時のことでした。 ペトロがイエス様のことを、3度「知らない」と言った事件です。 この話は、なぜこれほど有名な話になったのでしょうか。 それは、この出来事が起こる以前に、  イエス様がペトロに語ったある言葉が関係しています。 イエス様が捕らえられるその夜、「最後の晩餐」と呼ばれる食事の席で、 ペトロが「あなたのためなら命を捨てます」(ヨハネ13:37) と言った直後に、イエス様は、ペトロにこのように語りました。 鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。(ヨハネ13:38)  悲しいことに、その後、イエス様が言われた通りになってしまったのは、 先ほど読まれた箇所の通りです。 ペトロは3度、イエス様を否

説教#104:「主イエスが招く声を聞いたならば」

「主イエスが招く声を聞いたならば」 聖書 マタイによる福音書 4:18-25、イザヤ書 60:19-22 2016年2月7日 礼拝、小岩教会(ナザレン) 【なぜ主イエスに従ったのか?】 イエス様が「わたしについて来なさい」(マタイ4:19)と語り掛け、 弟子たちを招くこの場面を読む度に、私はいつも疑問に思うことがあります。 「なぜ彼らはイエス様に従ったのだろうか」と。 23-25節に描かれている人々については、納得がいくでしょう。 ある人たちは、イエス様の教えを聞いて、 心動かされたから、イエス様に従ったのでしょう。 ある人たちは、悪霊を払ってもらい、病を癒してもらったから。 またある人たちは、奇跡を起こすイエス様の力を目の当たりにしたから、 イエス様に従ったのでしょう。 このように、23-25節に登場する人々に関しては、 彼らがイエス様に従ったその動機を想像できるので、 彼らの行動に納得ができます。 では、あの2組の兄弟たちに関してはどうでしょうか? ペトロとアンデレ、そしてヤコブとヨハネは、 なぜイエス様に従ったのでしょうか。 残念ながら、彼らがイエス様に従った動機は記されていません。 ペトロたちにとって、イエス様との出会いは突然のものでした。 漁師である彼らは、いつものように朝を迎え、仕事に出て行き、 いつものように、ガリラヤ湖で仕事をしていたのですから。 そんな時彼らは、突然、イエス様から声を掛けられたのです。 「わたしについて来なさい」(マタイ4:19) 彼らがイエス様に従った理由は、 イエス様の教えを聞いたからでも、病を癒されたからでも、 奇跡を目の当たりにしてからでもありませんでした。 もちろん、彼らには彼らなりの理由があって、イエス様に従ったのだ思います。 しかし、その動機を福音書記者マタイは書き記しませんでした。 彼らがイエス様に従った動機について、沈黙することによって、 マタイはあるひとつのことを強調しています。 彼らがイエス様に従って、弟子となった理由はただひとつである、と。 それは、彼らがイエス様に名前を呼ばれて、従うようにと招かれたからです。 イエス様が招くならば、抵抗できない。 神の招きとは、そ