説教#139:「命に通じる門を目指せ」
「命に通じる門を目指せ」 聖書 マタイによる福音書7:13-14、エレミヤ書21:8-10 2016年10月30日 礼拝、小岩教会 【門をくぐり、道を歩む】 私たちの人生は、何かを選び取ることの連続です。 きょうの夕飯は何を食べようか。 勉強をしようか、それとも遊ぼうか。 などというような、日常的に繰り返している軽い選択もあれば、 進路のことや、どこで誰と暮らすかなど、 人生を左右するような重要な選択もあるでしょう。 イエス様はきょう、私たちの前に、 「狭い門」と「広い門」という、ふたつの選択肢を示しておられます。 ふたつの選択肢を示されたイエス様は、好きな方を選びなさいとは言わず、 「狭い門から入りなさい」と勧められました。 イエス様によれば、狭い門こそ、命に通じる門だからです。 ところでイエス様は、門について語るのと同時に、 道について語りました。 「滅びに通じる門は広く、その道も広々として」いる。 しかし「命に通じる門は狭く、その道も細い」というように。 それでは、門と道は、どちらが先にあるものなのでしょうか。 門が最初にあって、その後に、道が続いているのでしょうか。 それとも、道が続いていて、最後に門があるのでしょうか。 想像してみると、門も道も、 どちらも先にある可能性があると言えるでしょう。 「狭い門から入りなさい」という言葉からは、 最初に門をくぐる印象を受けます。 門とは、ある領域に入るためのものです。 町の門をくぐれば、人々の生活の領域である町の中に入ることが出来ますし、 神殿の門をくぐれば、神を礼拝する聖なる領域へと入ることを実感できます。 つまり、狭い門から入るならば、命の領域に入り、 その後、命に通じる道を歩んでいくことができるという意味で、 イエス様の言葉を読むことが出来るでしょう。 それは、キリスト者の存在のあり方の一つの側面をよく表していると思います。 神を信じ、イエス様に従って歩む者とされた者は、洗礼を受けます。 それは、神と共に歩む道が、 その人の人生のうちに開かれていくための門のようなものです。 洗礼を通して門をくぐるとき、神と共に歩むこと