説教#189:「教会は改革され、改革し続ける」
「教会は改革され、改革し続ける」 聖書 マタイによる福音書 13:44-50、申命記 6:4-5 2017年 10月 29日 礼拝、小岩教会 【宝や真珠よりも、遥かにまさるもの】 イエスさまは、たとえ話を語るとき、 「天の国は次のようにたとえられる」と語り始めることが多かったようです。 「たとえられる」と訳されている言葉は、 もともとの言葉では、「似ている」という意味の単語が用いられています。 ただ、「天の国は、こういうものです」と言い切るのではなく、 「天の国は、こういうものに似ているんですよ」と語るのは、 ちょっと遠回りをしているように感じます。 でも、「天の国」というものは、 イエスさまを通して、初めて知らされたものです。 その意味で、天の国は、私たちにとって、全く未知のものといえます。 そのため、イエスさまは、私たちが何とかして、 天の国について知ることができるようにと願って、 「天の国は、こういうものに似ているんですよ」と、 天の国を様々なものにたとえて、説明されたのです。 イエスさまは、あるときは、「天の国はからし種のようだ」と語り、 天の国は、小さな種のようだけれど、 成長すると大きくなる様子を伝えました。 またあるときは、「パン種のようだ」と語り、 天の国は、人の目には隠されているけれども、 周囲に大きな影響を及ぼすものであると教えてくださいました。 では、きょうのイエスさまの言葉は、 どのような意味を込めて語られたのでしょうか。 イエスさまは3つのたとえを話しています。 ひとつ目は、「畑に隠された宝」に似ている。 ふたつ目は、「商人が高価な真珠を探す」ことに似ている。 そして最後に、漁師が網で魚を捕ることに似ていると言って、 イエスさまは天の国のたとえを語られました。 最初のたとえと、ふたつ目のたとえは、とても似ている話です。 というのは、畑に宝を見つけた人も、 高価な真珠を見つけた人も、 それを手に入れるために、財産のすべてを手放したからです。 ということは、イエスさまは、 私たちにも同じように生きるように求めているのでしょうか? 天の国を自分の手にするために、 この世の富をすべて捨て去って