説教#218:「教会は歌いながら歩む」
「教会は歌いながら歩む」 聖書 エゼキエル書 33:7-11、マタイによる福音書 18:15-20 2018年 5月 27日 礼拝、小岩教会 私たち人間は、お互いに様々な違いを抱えています。 見た目も違えば、生き方も、考え方も違います。 感情の表現の仕方も、使う言葉だって違います。 同じ言葉を聞いても、受け取る印象が 人によって真逆であることもしばしばあります。 このような私たち人間の多様性は、 神が私たち人間を祝福した証しでもあるといえます。 どれほど豊かに、知恵や、ユーモア、何よりも愛情を込めて、 神が私たちを造られたのかがわかります。 でも、それなのに、私たちは ともに生きる誰かとの間に違いを感じるとき、 お互いにわかり合うことが出来ないという、 諦めにも似た感情を抱くことがあります。 そして、時には、自分たちが抱える違いゆえに、 お互いに傷つけ合ってしまうことがあるのです。 きょうの物語において、イエスさまが取り上げている問題は、 教会の中で誰かを傷つけ、罪を犯してしまうという問題です。 そうです、教会は、その初めから今に至るまで、 すべての人が招かれているため、 実は、そのような問題はとても起こりやすいところです。 でも、イエスさまは、 「色々な考えの人々が集っているから、 このようなことが起こるのはしょうがないね」 とは言いませんでした。 イエス・キリストに従う信仰者たちは、 教会と呼ばれる、信仰者の群れは、 互いに愛し合うようにと、神から招かれています。 ですから、イエスさまは、 私たちに和解の道を示されたのです。 イエスさまは、人々にこのように告げました。 兄弟があなたに対して罪を犯したなら、 行って二人だけのところで忠告しなさい。 言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。 (マタイ18:15)