しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。 - ヘブル人への手紙 11章16節

2011年3月28日月曜日

最近思うこと#1:「ことば」

僕らにとって、言葉というものはとても大きな意味を持つと思います。

親の言葉を聞き、しつけをされました。
学校の授業を聞き、教育を受けました。
神のことばを聴き、それを受け入れ信仰を持ちました。
言葉は僕らの信念、思想、生活など、
様々なものに影響を与えるものだと思います。

では、僕らが生涯生きていく上で一番聞く言葉は、一体、誰の言葉だろうか?
恐らく自分自身の言葉を人は一番聞いているはず...

親でもなく、
兄弟でもなく、
恋人でもなく、
配偶者でもなく、
神様の言葉でもない!

僕らは自分の言葉を一生のうちに一番聞いているはずです。
これってとても恐ろしいことだと思います。

イエス様は、マタイによる福音書15:11で「口にはいる物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。」と言っています。
自分の内にあるものが言葉となり、それが人に影響を与えます。
自分の言葉を自分が一番聞いているのであれば、
その言葉に影響を受け、自分が育っていくのではないでしょうか?

罪人の僕の言葉が、僕自身を育てているのです。

ここで、僕らは何を基盤にして生きるべきかが問われるのだと思います。
僕らクリスチャンは何を基盤とするべきか?
聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。(申命記6:4-9) 
御言葉を心に刻むこと、蓄えることが僕らに求められています。
ただ読むだけではいけないようです。
聖書は、どんなときもそれを唱えなさいと言っています。
そして、ローマの信徒への手紙10:17を読む時に、
御言葉を聞くことが信仰の始まりだということに僕らは気付かされます。
そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。(ローマの信徒への手紙10:17)
世に遣わされている僕らが、御言葉を蓄え、それに生かされている時、
より喜びをもって福音を伝えられる者へと変えられていくのではないでしょうか?

自分を、そして人を生かす言葉を発する者になりたいと願います。
そう願う僕は、ますます主のことばを蓄え、心に刻みつけたい。

聖書は神様からのラブレター(出典:flickr


*以前、KGKでした証の一部を掲載しました。