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説教#210:「十字架と復活こそ、希望のしるし」

「十字架と復活こそ、希望のしるし」 聖書 ヨナ書 2:1-11、マタイによる福音書 16:1-12 2018年 4月 1日 礼拝、小岩教会 「天からのしるしを見せてください」。 そう言って、イエスさまに近づいてきた人々がいました。 彼らは、「ファリサイ派」と「サドカイ派」の人々であったと マタイは記しています。 イエスさまの生きた時代、ユダヤの国には、 いくつかのグループが存在していました。 その中でも代表的で、人々の間で影響力のあったグループが、 ファリサイ派とサドカイ派と呼ばれる人々でした。 しかし、ファリサイ派とサドカイ派の間には、 共通点よりも、違う考えの方が多かったようです。 たとえば、ファリサイ派は死者の復活を信じている一方で、 サドカイ派は死者の復活はないと信じていました。 特に、ファリサイ派の人々は、「口伝律法」と呼ばれる、 長い時間をかけて積み重ねてきた律法の解釈や議論を大切にしました。 一方で、サドカイ派はそのような「口伝律法」を認めていませんでした。 そのため、ファリサイ派とサドカイ派の間には、 常に対立があったようです。 でも、それなのに、きょう開かれた物語では、 ファリサイ派とサドカイ派の人々が一緒に、 イエスさまのもとに近づいて来て、 「天からのしるしを見せてください」と質問しているのです。 対立関係があるにも関わらず、 彼らが手を取り合って、イエスさまのもとに来た理由は、 明らかに、イエスさまに対する敵意を彼らが持っていたからでしょう。 イエスさまのことを陥れるためであれば、 たとえ対立関係にある人々であっても、 彼らは一緒に手を取り合うことが出来たのです。 それでは、この時に、彼らがイエスさまに求めた、 「天からのしるし」とは一体、何を意味するのでしょうか?

説教#161:「神はあなたに問いかける」

「神はあなたに問いかける」 聖書 ヨナ書 4:1-11、ヘブライ人への手紙 3:7-11 2017年 4月 2日 礼拝、小岩教会 【ヨナの「不満」】  「こんなこと初めから望んでいなかったし、信じたくもなかった」。  ヨナ書に記されている、この一連の出来事を通して、 ヨナはきっとこのような不満を抱き続けていたと思います。  そして、4章になって、ついに彼の不満が怒りとなって爆発したのです。  一体なぜヨナは、急に怒りを露わにしたのでしょうか。  それは、3章で描かれている、ニネベの町で起こった出来事が関係しています。  このとき、悪の象徴として知られていたニネベの町の人々が、 ヨナの言葉を聞いたとき、神の前に悔い改め、悪の道を離れました。 そして、そんなニネベの人々を見た神が、 ニネベの町を滅ぼすことを思い直したため、ニネベは滅びを免れたのです。 この出来事こそ、ヨナの怒りを引き起こした原因です。  ヨナにとって、悪の象徴であるニネベの町に住む人々は、 彼らがたとえその悪の道から離れたとしても、 神によって滅ぼされるべき人々でした。 彼らが神の憐れみの対象になることなど、あり得ないのです。 そのように考えていたため、ヨナは最初に「ニネベの都へ行きなさい」 という神の命令を聞いたとき、神に背き、 ニネベに背を向けて、タルシシュへ向かいました。 「自分が預言者として、神によってニネベへ遣わされたら、 ニネベの人々が悔い改めて、神を信じてしまうかもしれない。 そのようなことが、万が一でも、あってはいけない。 悪の象徴である彼らは、滅びるべきだ」とヨナは考え、神に抵抗したのです。 しかし、最終的に神によってニネベへ遣わされたヨナの目の前に広がった光景は、 ニネベの人々の悔い改めと、彼らに示された神の憐れみでした。 だから、ヨナは怒りを覚え、神に訴えたのです。 「ああ、主よ、わたしがまだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。だから、わたしは先にタルシシュに向かって逃げたのです。わたしには、こうなることが分かっていました。」(ヨナ4:2)

説教#160:「この都を愛する神」

「この都を愛する神」  聖書 ヨナ書 3:1-10、コリントの信徒への手紙 二 5:16-21 2017年 3月 26日 礼拝、小岩教会  【神に愛される人とは?】  私たちの教会で、毎月1回行っている 子ども向けの集会「小岩ワーシップタイム」で、  今月は集まった子どもたちに、ひとつの質問をしてみました。  「神さまに愛されるためには、どうすればよいでしょうか?」 4つの選択肢を用意して、子どもたちに 「これかな?」と思うものに手をあげて答えてもらいました。 私が用意した4つの選択肢は、このようなものでした。 ①神さまに愛されるためには、何もしなくても良い。  神さまはすべての人を愛している。 ②神さまに愛されるためには、良いことをたくさんすれば良い。  お手伝いをしたり、学校の宿題を忘れずにしたり、  親や先生の言うことを聞く「良い子」を神さまは愛してくれる。 ③神さまに愛されるためには、優秀な人になれば良い。  良い子でいるなんて、当たり前。  優秀にならなきゃ、神さまからは愛されない。  優秀な人だけを神さまは愛してる。 ④神さまに愛されるためには、悪いことをすれば良い。  神さまは寧ろ、悪い子を愛している。 このような4つの選択肢をあげて、 その日集まった子どもたちに「神さまに愛されるためには、 どうすればよいか」と尋ねてみたところ、 ふたつめの選択肢で手をあげた子どもたちが、とても多くいました。 その場にいた子どもたちの多くは、このように思ったのです。 「良い人間こそが、神に愛されるべきだ」と。 ……本当にそうなのでしょうか? 私たちの神は、自分好みの人間だけを偏って愛する方なのでしょうか? そのようなことは、絶対にありません。 私たち人間は皆、神に愛されるために、神によって造られました。 その意味で、私たちが神に愛されるために出来ることは何もありません。 私たちは、既に、神に愛されている存在だからです。 しかし、それにも関わらず、私たちは、心の何処かで思ってしまうのです。  「善い人間こそが、神に愛されるべきで、  悪い人...

説教#159:「私たちの救いはどこから来るのか?」

「私たちの救いはどこから来るのか?」 聖書 ヨナ書 2:1-11、マタイによる福音書 1:21 2017年 3月 19日 礼拝、小岩教会 【「わたしの助けはどこからくるのか?」】  「わたしの助けはどこから来るのか」(詩編121:1)。 さきほど一緒に声を合わせて読んだ、詩編121篇は、  このように問いかけることから始まりました。  私たちの助け、私たちの救いは、一体どこから来るのでしょうか?  詩編121篇で明確に証言されているように、  私たちの助け、私たちの救いは、「天地を造られた主のもとから」来ます。  そのように確信していたからこそ、詩編121篇を歌った詩人は、  神の助けと守りを求めて、いつも祈り続けました。  きょう、私が皆さんに問いたいのは、  詩編121篇を歌った詩人のように、  ヨナにとっても、「神は救いであり得るのか?」ということです。  ヨナ書1章を通して、ヨナについてわかることは、  彼が模範的な預言者であるというよりは、  預言者としても、信仰者としても、  彼が私たちにとって反面教師的であることです。 ヨナは、「ニネベへ行きなさい」と命じる神の前から逃げ出し、  預言者として与えられている使命を放棄しました。  また、そんなヨナを何とか呼び戻そうと、  神が嵐を起こしても、彼は神との交わりを拒み続けました。  そして、最終的に彼は海に投げ込まれることになってしまったのです。  そんな彼に対して、果たして、神は救いであるのでしょうか? 

説教#158:「あなたはなぜ祈らないのか?」

「あなたはなぜ祈らないのか?」 聖書 ヨナ書 1:1-16、ローマの信徒への手紙 10:12-13  2017年 3月 12日 礼拝、小岩教会  【なぜ祈らないのか?】  「立って、ニネベへ行きなさい」 と神から命じられた(ヨナ1:2)、預言者ヨナは、 ニネベとは正反対の方向である、はるか西の方を目指して旅立ちました。 彼はこのとき、神に従うことを徹底的に拒否して、 タルシシュ行きの船に乗ったのです。 そんなヨナを引き戻すために、神は大きな嵐を引き起こしました。 4節によれば、ヨナが乗っていた船が今にも転覆してしまいそうになるほど、 この嵐は激しいものだったようです。 それほど激しい嵐が起こったため、ヨナと同じ船に乗っていた人々は、  船が沈まないように、出来る限りのことをし始めました。 激しい波風の音に負けないほどの叫び声を上げ、 彼らは、各々が信じる神に祈り求めました。 「神よ、助けてください」と。  また、船の積荷を海へ投げ捨て、船を少しでも軽くしようとしました。 しかし、嵐は一向に静まる気配がなく、船は今にも沈みそうな様子でした。 このように、人々が嵐の中で慌てふためいていたそのとき、 この嵐の原因である、あのヨナは一体どうしていたのでしょうか。 何とヨナは、「船底に降りて横になり、 ぐっすりと寝込んでいた」(ヨナ1:5)そうです。 激しい雨や風の音や、同じ船に乗っていた人々の叫び声、 また船の中が騒がしい様子も彼の耳には全く届かず、 ヨナは眠り込んでいました。  そんなヨナを見つけた船長は、眠っている彼を起こして言いました(ヨナ1:6)。 「これだけ船が揺れているのに、君はなぜ寝ていられるんだ?  凄い嵐だろ?  ほら、ごらん、このままではこの船は沈んでしまうよ。  こんな状況なのに、君はなぜ寝ていられるんだ?  そして、なぜ君は祈らないの? 君が祈るならば、君の信じる神が気づいて、 君や僕らのことを助けてくれるかもしれないだろ?  だから、さぁ、今すぐ君の信じる神に、向かって祈りなさい。」

説教#157:「神の言葉との衝突」

「神の言葉との衝突」 聖書 ヨナ書 1:1-4、ローマの信徒への手紙 8:38-39 2017年 3月 5日 礼拝、小岩教会  【「ニネベに行ってこれに呼びかけよ」】 旧約聖書の時代、イスラエルの国には「預言者」と呼ばれる人たちがいました。  彼らの使命は、神から与えられた言葉を人々に伝えることです。 しかし、彼らが語るように示された言葉のほとんどは、 希望に溢れる言葉というよりは、  神に向き合わない人々に警告を与える厳しい言葉でした。 そのため、本当はここまで厳しいことは伝えたくないけれども、 自分たちイスラエルの民が、神に心から立ち帰るという目的を果たすために、 心を痛めつつも、預言者たちは人々に語り続けたのです。 きょうの物語に登場する、ヨナという人もまた、預言者のひとりでした。  ダビデ王からおよそ200年後の紀元前8世紀の前半、 ヤロブアム2世という王さまがイスラエルの北王国を治めていた時代に、 ヨナは預言者として活動をしていたようです(列王下14:25)。  そんなヨナに、神が語り掛け、 彼に使命を与えることから「ヨナ書」は始まります。  「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。」(ヨナ1:2) 「ニネベ」という町は、イスラエルの国の北東にある大きな都でした。 そして、ニネベは、イスラエルの敵国である、 アッシリア帝国の首都として、よく知られていました。 そんな場所に、なぜ、神はヨナを遣わそうとしたのでしょうか? それは、「ヨナ書」を読んだ、多くのユダヤ人たちの疑問だったと思います。  神はヨナをニネベへ遣わす理由について、 「彼らの悪はわたしの前に届いている」と語りました。 神は、ヨナを預言者として遣わして、 悪名高いニネベの町の人々に警告を与えようと計画されたのです。 ヨナにとって、神がこのような使命を自分に与えるのは、 信じられないことだったと思います。 ヨナは、イスラエルのために立てられた預言者です。 それにも関わらず、「なぜ敵国のニネベにまで行かなければいけないのか?」 「なぜ悪名高いあのニネ...