説教#144:「神に出来ること、出来ないこと」
「神に出来ること、出来ないこと」 聖書 ルカによる福音書 1:26-38、創世記 18:9-15 2016年 12月 4日 礼拝、小岩教会 【サラとマリア】 きょうは、ふたつの物語を一緒に朗読して頂きました。 このふたつの物語には、 同じような状況に立たされている女性の姿が描かれています。 ひとりの女性の名前は、サラ。 彼女は、神によって遣わされた人を通して、 神が自分の夫のアブラハムに告げた言葉を聞きました。 「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」(創世記18:10) この話をこっそりと聞いていたサラは、ひそかに笑いました(創世記18:12)。 というのも、彼女はこの時すでに89歳でした。 常識的に考えれば、89歳の女性に子どもが生まれるはずありません。 では、もう一人の女性はどのような人物だったのでしょうか。 ルカによる福音書に登場した女性の名前は、マリア。 彼女のもとにある日、ガブリエルという名の天使がやって来て、 その天使は彼女にこのように告げました。 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。(ルカ1:31-33) この天使の言葉に、マリアは戸惑い、恐れを抱きました。 そして、反論します。 「どうして、そのようなことがありえましょうか。」(ルカ1:34) 彼女がこのように戸惑い、反論する理由はとてもよく理解できます。 というのも、彼女は婚約期間中ではありましたが、 男性と性交渉をした経験などなかったのですから。 彼女が、子どもを身ごもるわけなどありません。 そんなのあり得ない話なのです。