説教#244:「キリストに仕える生涯」
「キリストに仕える生涯」 聖書 エゼキエル書 34:11-24、マタイによる福音書 25:31-46 2018年 12月 2日 礼拝、小岩教会 きょうのイエスさまのたとえ話に登場する王さまは、 飢え渇く人、家がなく旅をする人、病に苦しむ人、 裸である人、牢獄につながれている人を 助けた人々に向かって、このように言いました。 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、 のどが渇いていたときに飲ませ、 旅をしていたときに宿を貸し、 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、 牢にいたときに訪ねてくれた。(マタイ 25:35-36) このように言われた人たちが、キョトンとした顔で、 王さまを見つめている姿が想像できると思います。 そうです、だって、心当たりがないのですから。 自分たちが一体なぜ王さまから感謝されているのか、 さっぱりわかりません。 王さまの前に立つ人々は、 自分たちが王さまを助けたなどとは、当然、誰も思っていません。 自分たちが助けたのは、苦しんでいる自分自身の家族です。 悲しみ、嘆きのうちにある仲間たちです。 喉が渇き、お腹を空かせていた旅人たちです。 そういった人たちを助けたことは確かにありました。 でも、この王さまは優しく語りかけるのです。 「このような人々のためにあなたがしたことは、 このわたしにしたことだ。 助けを必要としていた最も小さい者たちに、あなたがしたことは、 わたしにしたことだ」と。 なぜ他の人を助けたことが、王さまを助けたことになるのか、 このたとえ話を読んでも、その理由は、正直わからないと思います。 でも、このたとえに登場する王さまが、 イエスさまご自身のことを指すとわかるならば、 私たちの目に光が与えられることでしょう。