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説教#230:「神の国は誰のもの?」

「神の国は誰のもの?」 聖書 イザヤ書   5:1-7、マタイによる福音書   21:33-46 2018年 8月 26日 礼拝、小岩教会 ユダヤの人々が住んでいる、パレスチナの地は、 イエスさまが生きた時代よりも1500年以上も前から、 ぶどうの栽培がなされていました。 そのため、その地で暮らす多くの人々にとって、 ぶどうの木やぶどう園についてのたとえ話は、 自分たちの日常を描く話だといえました。 そして、旧約聖書の時代、預言者たちは ぶどうの木やぶどう園をたとえに用いて、神の言葉を語りました。 このような理由から、イエスさまが語ったぶどう園のたとえ話は、 このたとえを聞いていたユダヤの人々にとって、 語られている内容を頭の中で描きやすく、 とても理解しやすいものだったと思います。 このたとえ話に登場する、ぶどう園で雇われた農夫たちには、 ぶどう園の主人から多くのものが与えられていました。 ぶどう園の主人は、彼らが働く場所を備えた上で、 彼らにぶどう園を貸し出し、そこで働かせました。 ぶどうをつくるために、 土地だけが用意されていたわけではありません。 主人の手によって、ぶどう園はすでに造られていました。 ぶどう園を野獣から守る垣根も、既に張られていました。 ぶどう酒をつくるための絞り場も、そこに備えられていましたし、 盗人や獣からぶどうを守るための見張り台も建てられていました。 このように、ぶどう園での仕事が与えられただけでなく、 そこで働くために必要なものは備えられていました。 そして、彼らは主人から信頼され、ぶどう園を任され、 ぶどう園での働きには自由が与えられていました。 このように、農夫たちに対して、 とても気前の良いぶどう園の主人の姿が 聞いている人々の心に刻まれたことでしょう。 でも、その一方で、このたとえ話はとても物騒な内容です。

説教#229:「今日、ぶどう園へ行って働きなさい」

「今日、ぶどう園へ行って働きなさい」 聖書 イザヤ書 43:6-20、マタイによる福音書 21:28-32 2018年 8月 19日 礼拝、小岩教会 このたとえ話がイエスさまの口から語られた時、 その場にいた人々は、なぜイエスさまがこのようなことを語るのか よくわからなかったと思います。 というのも、イエスさまはこの時、 あまりにも当然のことを語っているように思えるからです。 確かに、口では「言われたとおりにします」と言いながら、 実際は、約束を踏みにじって、自分の好き勝手生きる人よりも、 「いやだ、いやだ」と言いながらも、 するべきことを忠実に行う人の方が好ましいものです。 たとえの中に登場するふたりの息子たちのうち、 父親の望み通りに行なっているのは、明らかに、 口では「いやだ」と言いながらも、 父親の望み通りに行動した、兄の方です。 ですから、「この二人のうち、 どちらが父親の望みどおりにしたか」という質問に、 「兄の方こそが、父親の望み通りにした」とある人が答えると、 誰もがその答えに同意し、首を縦に振ったことでしょう。 でも、続けて語られたイエスさまの言葉には、 誰もが驚きを覚えたと思います。

説教#228:「主イエスを通して、天を見上げるならば」

「主イエスを通して、天を見上げるならば」 聖書 出エジプト記 17:1-7、マタイによる福音書 21:23-27 2018年 8月 5日 礼拝、小岩教会 イエスさまの教えを聞き、その立ち振る舞いを見て、 イエスさまに対して疑問や敵対心を抱く人々がいました。 きょうの物語に登場する、 「祭司長」と「長老」という、このふたつのグループこそ、 イエスさまに対して敵意を持ち続けた人たちです。 彼らは、ユダヤの議会を構成する人々でした。 つまり、ユダヤの国において大きな権限を持つ、 ふたつのグループに属する人々が、 この時、エルサレム神殿の敷地内で、 人々に教えを語るイエスさまに近づいて来たのです。 彼らは、イエスさまにこのように尋ねました。 何の権威でこのようなことをしているのか。 だれがその権威を与えたのか。(マタイ21:23) 彼らは決して、純粋な気持ちから、 イエスさまにこのような質問をしたわけではありません。 この質問は、イエスさまが持つ権威に対する疑問や イエスさまに対する敵意から出てきたものでした。 そのため、この質問に答えることは、とても難しいことでした。 というのも、もしもイエスさまが問題と思えるような発言をするなら、 ユダヤ議会のメンバーである彼らが持つ権限によって、 彼らはイエスさまを裁くことだって出来たからです。 ところで、なぜ祭司長たちや長老たちは、 イエスさまの権威に疑問をもち、 イエスさまに対して敵意を抱いていたのでしょうか。