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説教#251:「だから、想い起こせ」

「だから、想い起こせ」 聖書 申命記 4:32-40、ヘブライ人への手紙 2:1-4 2019年 1月 27日 小岩教会、礼拝 私たちはいつも、大切なことを忘れてしまう危険と隣り合わせでいます。 重要な書類の提出締切、試験の中で問いかけられる言葉の意味、 大切な人との待ち合わせ、パスワードや暗証番号に至るまで、 私たちにとって忘れてはいけないことは、数多く存在します。 もちろん、忘れたいことも数多くあります。 それでも、忘れてはいけないことを、忘れてしまうことは、 出来る限り避けるべきことなのは、 誰にとっても当然のことと言えるでしょう。 今日、神は、ヘブライ人への手紙の著者を通して、 「だから、わたしたちは聞いたことに いっそう注意を払わねばなりません。 そうでないと、押し流されてしまいます」(ヘブライ 2:1) と私たち一人ひとりに語りかけています。 この手紙の著者がこのように語るのは、 明らかに、私たちが大切なことを忘れてしまうことがあるからです。 ここで「注意を払う」と訳されている言葉は、 「耳を傾ける」という意味をもつ、ギリシア語が用いられています。 つまり、私たちは大切なことを忘れてしまうと同時に、 そもそもその大切なことを私たちに告げる言葉を聞かずに、 「聞き流してしまう」危険だってあるのです。 ところで、著者がこのとき、 この手紙を送った人々に注意を払ってほしいと、 しっかりと耳を傾けてほしいと、 切実に願ったこととは、一体どのようなことだったのでしょうか。

説教#250:「永遠に変わることのない方を信頼する」

「永遠に変わることのない方を信頼する」 聖書 イザヤ書 61:1-4、ヘブライ人への手紙 1:5-14 2019年 1月 20日 礼拝、小岩教会 ヘブライ人への手紙は、「手紙」という表題が付いていますが、 実は、当時の教会で語られた3つの説教が収められた書簡だと、 現在では考えられています。 さきほど読んでいただいた箇所を読むと、 この手紙が、もともとは説教であるといわれる理由が よくわかると思います。 というのも、著者は旧約聖書から7つもの引用を行って、 今日の箇所を述べているからです。 聖書を土台にして、その時代の信仰者たちに相応しく、 神の言葉を伝えることは、いつの時代も教会が行ってきたことです。 そう考えると、ヘブライ人への手紙が朗読されることを通して、 1世紀の末に、キリスト教会の中で当時の信仰者たちに語られた 説教の雰囲気が何となく伝わってくる気がします。 それでは、旧約聖書から多くの引用を行うことを通して、 著者は今日のこの箇所によって、 一体、何を人々に伝えたいと願っていたのでしょうか。 一読して気づくのは、 御子、つまりイエス・キリストと天使が比較されていることでしょう。 著者は、天使とキリストの比較について、このように語り始めます。 いったい神は、かつて天使のだれに、 「あなたはわたしの子、 わたしは今日、あなたを産んだ」と言われ、 更にまた、「わたしは彼の父となり、 彼はわたしの子となる」と言われたでしょうか。 (ヘブライ 1:5) 天使とは、神の言葉を携えて、 人々に伝えるメッセンジャーだと考えられていました。 その意味で、天使たちは、 神の言葉を伝える重要な役割を担っている存在だと言えるでしょう。 しかし、そのような天使たちに対して、 神は決して、「わたしの子」とは言わなかったと、 著者は旧約聖書からの引用を通して伝えています。 天使たちはあくまで神によって造られた者に過ぎず、 イエス・キリストのみが、神から「子」と呼ばれ、 神に対して「父」と語ることの出来る存在だと、 著者は宣言しているのです。

説教#249:「神は諦めずに語り続ける」

「神は諦めずに語り続ける」 聖書 サムエル記 上 3:1−10、ヘブライ人への手紙 1:1−4 2019年 1月 13日 礼拝、小岩教会 私たちの日常は、言葉に満ちています。 私たちが行くところ何処においても、 様々なものが、様々な人たちが、私たちに語り掛けてきます。 家の中での家族との会話。 駅のホームのアナウンス。 行き交う人々の会話。 テレビを通して聞く言葉。 スマホやパソコンの画面から目に入ってくる情報。 街を歩けば、広告が目に映り、 流行りの音楽が絶えず鳴り響いています。 このように思い巡らしてみると、私たちは普段から、 実に、多くの言葉に囲まれていることがわかるでしょう。 私たちはそれらの言葉を心に留めたり、 右耳から左耳へと抜けていくように、忘れたてしまったり、 まったく気に留めなかったりします。 様々な言葉に、怒りを覚えたり、悲しんだり、 喜んだり、気まずくなったりします。 このように、語り掛けられる言葉に対する 私たちの反応は実に様々です。 さきほど読んでいただいたヘブライ人への手紙は、 「神は、語られた」という言葉から始まっています。 神は、かつて預言者たちによって、 多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られた (ヘブライ1:1) 著者は、この手紙をはじめるにあたり、 この文書が朗読されるのを聞く人々の過去に注意を向けさせます。 「今、神の言葉が語られている」ではなく、 何よりも、かつて、神は多くのかたちで、様々な方法によって、 あなた方の先祖たちに語り続けてきた、と。