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説教#56:「あなたたちが宝の民だから」

『 あなたたちが宝の民だから 』 聖書  マラキ書3:16-18、マルコによる福音書3:20-30 日時 2014年10月12日(日) 礼拝 場所 日本ナザレン教団・浦和教会 【悪い噂が広まる】 イエス様が宣教の働きを始めてから、各地にイエス様の噂は広まっていきました。 しかし、どうやら、その噂は良いものばかりではなかったようです。 イエス様の行動を見て、 「あの男は気が変になっている」(マルコ3:21)と言う人々もいたのです。 当時、気が変になっていると思える行動をする人は、 悪霊の支配下にあると人々から考えられていました。 そのため、身内の人たちがイエス様を取り押さえに来た、とマルコは報告しているのです。 この悪い噂がこれ以上広まる前に、 身内の人々は、イエス様の宣教の働きをやめさせようとしたのかもしれません。 【エルサレムから来た律法学者たちの主張】 しかし、身内の人々がイエス様を取り押さえに来るよりも前に、 イエス様についての悪い噂を聞きつけてやって来た人々がいました。 マルコは、彼らを「エルサレムから下って来た律法学者たち」(マルコ3:22)と紹介しています。 エルサレムは、ユダヤ教の中心地です。 そのエルサレムから、宗教的指導者である律法学者たちがやってきたのです。 それは、悪い噂が流れているイエス様について、調査をするためでした。 その調査の結果、彼らはしきりに言うのです。 「あの男はベルゼブルに取りつかれている」 「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」(マルコ3:22) イエス様がこれまで行ってきた、病の癒やしや悪霊追放は、 悪霊の頭であるベルゼブルの力によるものだ、と彼らは言うのです。 イエス様は良い力ではなく、悪の力を用いている、悪の代理人だ、という訴えです。 もちろん、そのようなことは決してありません。 イエス様は、そのような方では決してありません。 しかし、いつものように人々の病を癒し、悪霊を追い出したとしても、 イエス様は、自分が悪の代理人ではないということを証明することはできません。 そのため、イエス様は、たとえを用いることによって、 自分が悪の側にではなく、神の側に立っているということを証明したので

説教#55:「境を打ち破る、神の国の福音」

『 境を打ち破る、神の国の福音 』 聖書  出エジプト記19:20-25、マルコによる福音書3:13-19 日時 2014年10月5日(日) 礼拝 場所 日本ナザレン教団・浦和教会 【主イエスのもとにやってくる人々】 イエス様のもとには、毎日のように、様々な人々が集まってきました。 祭司やファリサイ派の人々、漁師、徴税人、病を抱えた人、悪霊にとりつかれた人など、 実に様々な人々が、イエス様のもとにやってきたようです。 ある人は、病気を癒してもらうために。 ある人は悪霊を追い払ってもらうために。 ある人は、神から与えられた律法について議論するために。 また、ある人は、その律法についての議論を通して、イエス様を貶めるために。 イエス様のもとに集まった人々は、イエス様の噂を聞いて、集まってきました。 イエスという人が、病を癒やした。 悪霊を追い払った。 律法をこのように解釈した。 イエスの語る教えは、権威ある新しい教えだ、などといったような噂を聞いて、 毎日のように、人々はイエス様のもとにやって来たのです。

説教#54:「あなたにとって、主イエスとは何者か?」

『 あなたにとって、主イエスとは何者か? 』 聖書  列王記上5:9-14、マルコによる福音書3:7-12 日時 2014年9月28日(日) 礼拝 場所 日本ナザレン教団・浦和教会 【主イエスの宣教に対する様々な反応】 イエス様が行った宣教に対して、人々は様々な形で反応しました。 ある者は喜び、ある者は噂を広め、 ある者は疑いを覚え、 ある者は信じて、イエス様を尋ねて旅立ちました。 当時のユダヤの宗教的指導者であるファリサイ派の人々は、 自分たちの考える基準で律法を守らないイエス様の姿を見て、 次第にイエス様に対する憎しみを覚えるようになってきました。 3:6には、このように記されています。 ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。(マルコ3:6) 2章から3章5節までは、イエス様と人々の間でなされた論争が記されていました。 律法の解釈を巡る論争です。 これらの論争の結果として、ファリサイ派の人々はイエス様を憎み、 イエス様を殺すための相談を始めたのです。 そのような意味で、イエス様の宣教は、ファリサイ派の人々に対しては成功したとはいえませんでした。 彼らの怒りや憎しみを感じ取ったからでしょうか。 イエス様は、弟子たちと一緒にガリラヤ湖の方へと立ち去られた、とマルコは報告しています(マルコ3:7参照)。

説教#53:「安息日が告げる祝福」

『 安息日が告げる祝福 』 聖書  出エジプト記20:8-11、マルコによる福音書3:1-6 日時 2014年9月21日(日) 礼拝 場所 日本ナザレン教団・浦和教会 【安息日における生命の保護】 イエス様は、安息日によく人々の病を癒していました。 人々は、イエス様が病人を癒すその姿に驚き、 また、イエス様の語る言葉を権威ある新しい教えだと言って、喜んで聞いていました。 しかし、ファリサイ派の人々は、イエス様のことを快く思わなかったようです。 というのは、イエス様が病人を癒やす行為は、安息日に禁じられている労働に含まれていると彼らは考えたからです。 もちろん、ファリサイ派の人々にとっても、安息日における生命の保護は重要なものと考えられていました。 しかし、医療行為に関しては、命の危機がある時にのみしか、許されていなかったようです。 つまり、命の危険がない病だと判断されたならば、 その病の癒やしは律法違反だから、安息日以外の日にすべきだと言われたのです。 イエス様が安息日に行った癒やしは、命の危険にある人だけが対象ではありませんでした。 ですから、ファリサイ派の人々はイエス様の癒しの行為を非難し、イエス様を敵視するようになっていったのです。