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説教#78:「神は安息へと招かれる」

『 神は安息へと招かれる 』 聖書  創世記2:1-4a、マルコによる福音書3:1-6 日時 2015年 7月 19日(日) 礼拝 場所 小岩教会( 日本ナザレン教団 ) 【目まぐるしい日々を過ごす私たち】 現代に生きる私たちは、とても目まぐるしい日々を過ごしています。 仕事に追われ、ノルマに苦しみ、 まるで働くために生きているかのようだと、錯覚してしまうほどです。 時間が足りないのでしょうか? 技術の発展により、生活は日を増すごとに便利になっており、 昔に比べて時間を節約できるようになっているはずです。 それにも関わらず、「時間が余って仕方がない」 と考えている人は少数派のはずです。 「時は金なり」という言葉があるように、 私たちは時間をとても大切なものとして考え、 出来る限り時間を、最大限に有効に使いたいと願っています。 しかし、そう願えば願うほど、様々な日常の事柄に、 私たちは追われる毎日を過ごすことになります。

説教#77:「神が極めて良いと言われたのだから」

『 神が極めて良いと言われたのだから 』 聖書  創世記1:26-31、マルコによる福音書7:14-23 日時 2015年 7月 12日(日) 礼拝 場所 日本ナザレン教団・小岩教会 【多くの言葉に囲まれて生きている私たち】 毎日のように、様々な言葉が、私たちに向かって語られています。 友人や家族の言葉。 それは口から語られる言葉だけでなく、 メールや書き置きなどで、文字によって伝えられたり、 態度や仕草を通して伝えられたりします。 また、テレビから流れる声、書籍、新聞やインターネットなどを通して、 様々な言葉が、情報として雪崩れ込んできます。 街へと出て行くと、そこでは人々の話し声や選挙演説などが聞こえ、 たくさんの広告が目につきます。 このように、周囲にある様々な言葉に耳を傾けてみると、 私たちは、実に多くの言葉に囲まれて生きていることに気付くでしょう。

説教#76:「主の招く声が聞こえてくる」

『 主の招く声が聞こえてくる 』 聖書  創世記1:3-31、ヘブライ人への手紙1:1-4 日時 2015年7月5日(日) 礼拝 場所 日本ナザレン教団・小岩教会 【「神の言葉を聞く存在」としての招き】 創世記1章は、神の創造のわざを高らかに賛美しています。 そこには、神が6日間かけて、この世界を造られたことが記されています。 創世記1章は、この6日間の創造について語る際、 すべての日を、このような言葉から始めています。 神は言われた。(1:3, 6, 9, 14, 20, 24) 創世記1章の天地創造の物語は、 すべての日を「神が語られた」ことから始めています。 そして、「神が言われた」という言葉に続くのは、 「神が語りかけると、そのようになった」ということです。 このことが、創世記1章では繰り返し語られています。 神が「光あれ」と語り掛けると、光が存在するようになり、 「地は草を芽生えさせよ」と語り掛けると、草花が地に広がる。 また、「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ」 と語ると、その通りになりました。 このような神の語り掛けによって、 それまで存在していなかったものが、存在するようになったのです。 まさに「神の言葉がすべてのものの存在の根拠である」と 創世記1章は宣言しています。 ということは、神によって造られたすべてのものは、 「神の言葉を聞く存在である」といえるでしょう。 私たち人間も同様に、神の言葉によって創造されました。 神から語り掛けられる存在として、私たちは造られたのです。 創世記1章は、「あなたは神の言葉を聞く存在である」と、私たちに語り掛け、 私たちを「神の言葉を聞き続ける歩み」へと招いているのです。