しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。 - ヘブル人への手紙 11章16節

2015年7月19日日曜日

説教#78:「神は安息へと招かれる」

神は安息へと招かれる
聖書 創世記2:1-4a、マルコによる福音書3:1-6
日時 2015年 7月 19日(日) 礼拝
場所 小岩教会(日本ナザレン教団

【目まぐるしい日々を過ごす私たち】
現代に生きる私たちは、とても目まぐるしい日々を過ごしています。
仕事に追われ、ノルマに苦しみ、
まるで働くために生きているかのようだと、錯覚してしまうほどです。
時間が足りないのでしょうか?
技術の発展により、生活は日を増すごとに便利になっており、
昔に比べて時間を節約できるようになっているはずです。
それにも関わらず、「時間が余って仕方がない」
と考えている人は少数派のはずです。
「時は金なり」という言葉があるように、
私たちは時間をとても大切なものとして考え、
出来る限り時間を、最大限に有効に使いたいと願っています。
しかし、そう願えば願うほど、様々な日常の事柄に、
私たちは追われる毎日を過ごすことになります。

2015年7月12日日曜日

説教#77:「神が極めて良いと言われたのだから」

神が極めて良いと言われたのだから
聖書 創世記1:26-31、マルコによる福音書7:14-23
日時 2015年 7月 12日(日) 礼拝
場所 日本ナザレン教団・小岩教会

【多くの言葉に囲まれて生きている私たち】
毎日のように、様々な言葉が、私たちに向かって語られています。
友人や家族の言葉。
それは口から語られる言葉だけでなく、
メールや書き置きなどで、文字によって伝えられたり、
態度や仕草を通して伝えられたりします。
また、テレビから流れる声、書籍、新聞やインターネットなどを通して、
様々な言葉が、情報として雪崩れ込んできます。
街へと出て行くと、そこでは人々の話し声や選挙演説などが聞こえ、
たくさんの広告が目につきます。
このように、周囲にある様々な言葉に耳を傾けてみると、
私たちは、実に多くの言葉に囲まれて生きていることに気付くでしょう。

2015年7月5日日曜日

説教#76:「主の招く声が聞こえてくる」

主の招く声が聞こえてくる
聖書 創世記1:3-31、ヘブライ人への手紙1:1-4
日時 2015年7月5日(日) 礼拝
場所 日本ナザレン教団・小岩教会

【「神の言葉を聞く存在」としての招き】
創世記1章は、神の創造のわざを高らかに賛美しています。
そこには、神が6日間かけて、この世界を造られたことが記されています。
創世記1章は、この6日間の創造について語る際、
すべての日を、このような言葉から始めています。
神は言われた。(1:3, 6, 9, 14, 20, 24)
創世記1章の天地創造の物語は、
すべての日を「神が語られた」ことから始めています。
そして、「神が言われた」という言葉に続くのは、
「神が語りかけると、そのようになった」ということです。
このことが、創世記1章では繰り返し語られています。
神が「光あれ」と語り掛けると、光が存在するようになり、
「地は草を芽生えさせよ」と語り掛けると、草花が地に広がる。
また、「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ」
と語ると、その通りになりました。
このような神の語り掛けによって、
それまで存在していなかったものが、存在するようになったのです。
まさに「神の言葉がすべてのものの存在の根拠である」と
創世記1章は宣言しています。
ということは、神によって造られたすべてのものは、
「神の言葉を聞く存在である」といえるでしょう。
私たち人間も同様に、神の言葉によって創造されました。
神から語り掛けられる存在として、私たちは造られたのです。
創世記1章は、「あなたは神の言葉を聞く存在である」と、私たちに語り掛け、
私たちを「神の言葉を聞き続ける歩み」へと招いているのです。