説教#147:「居場所を与えるために来られた方」
「居場所を与えるために来られた方」 聖書 ルカによる福音書2:1-20、申命記10:17-19 2016年 12月 25日 礼拝、小岩教会 【泊まる場所が見つからないマリアとヨセフ】 皆さん、クリスマスおめでとうございます。 きょう私たちは、この礼拝を通して、 私たちの救い主である、イエス・キリストがお生まれになったことを 一緒にお祝いする時間を過ごしています。 きょう一日、世界中のあらゆる教会で、 イエス様の誕生が喜ばれ、お祝いされていることでしょう。 そして、愛する家族や友人たち、また教会の人々と 一緒に楽しいひとときを過ごし、 美味しい食事を食べて、 プレゼントをお互いに交換し合う。 そのように、日本だけでなく、世界中が喜びに包まれ、 楽しく、明るい雰囲気になるのがクリスマスの日です。 そうであるならば、私たちのこの喜びのきっかけとなった イエス・キリストの誕生は、さぞかし喜びに包まれ、 華やかに、多くの人に祝われたのだろうと想像してしまいます。 でも、どうやらそうではなかったと、 先ほど朗読していただいた聖書の言葉は私たちに告げます。 ルカはイエス様の誕生について、このように書いています。 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(ルカ2:6-7) イエス様の両親であるヨセフとマリアは、 当時の皇帝の勅令に従って、住民登録をするために、 ユダヤ地方にあるベツレヘムの町を訪れていました。 当時の人々は、旅に出た際、 行った先々の地に住む親戚や知人を探し出して、 その人の家に泊めてもらったそうです。 7節で「宿屋」と訳されている言葉は、 商業的な宿泊場所ではなく、個人の家の客間を意味しています。 ですから、ヨセフとマリアも、当時の人々の習慣に従い、 一晩泊めてもらえないかと親戚や知り合いの家を尋ね歩いたことがわかります。 しかし、ベツレヘムの町は、自分たちと同じように、 住民登録をするためにやって来た人々で溢れていました。 恐らく、そのためでし