説教#168:「収穫は多いの?」
「収穫は多いの?」 聖書 マタイによる福音書 9:35-38、エレミヤ書 23:1-6 2017年 5月 28日 礼拝、小岩教会 【主イエスにぶつけたい疑問】 きょうのイエス様の言葉を、 私たちはどのように受け止めたら良いのでしょうか。 「収穫は多いが、働き手が少ない」(マタイ9:37)とイエス様は言います。 でも、この言葉を聞いた私たちは思うのです。 「本当に収穫は多いのでしょうか。 イエス様、今の日本の教会の状況を見てください。 多くの教会は、礼拝出席者の数が徐々に減っています。 その上、高齢化も進んでいますし、 子どもたちも、かつてのあの頃より激減しました。 寧ろ、私たちの目には収穫は少なく見えます。 収穫は多いなんて、冗談でしょう?」といった具合に。 そうです、私たちが通常考える収穫とは、 「どれだけ目に見える成果を生み出すことが出来たか」です。 それは、どれだけキリストを信じる人々が起こされたかであり、 礼拝出席者がどれだけ増えたのか、とも言うことが出来るでしょう。 また、聖書的・キリスト教的なもの考え方や価値観が、 この世界にどれだけ広がり、人々から受け入れられたのか。 そういったところで、 私たちは「収穫」の豊かさや乏しさを判断するのです。 しかし、イエス様は、私たちを取り巻くこのような状況や、 私たちが心で思うことを知った上で、このように宣言されました。 「収穫は多いが、働き手が少ない」(マタイ9:37)と。 ということは、今私たちに与えられている収穫は、神の目には多く見えていて、 私たちが、収穫に対して、あまりにも貪欲になりすぎているのでしょうか? 私たちは、過度に収穫を期待し、多くを求めすぎてしまっているのでしょうか? このように、イエス様が語った「収穫は多い」という言葉に対して、 どこか納得できないため、私たちはイエス様に対して、 疑問をぶつけたくなってしまうのです。