最近思うこと#3:「カイロス――我慢と忍耐について」
以前、このブログでこれから考えたいこととして、 「我慢と忍耐の違い」 について書きましたが、先日、勉強していてなるほどと思うことがあったので、「最近思うこと」としてここに書き記すことにします。 *考察の過程として書くので、間違いもあると思います。 *佐藤敏夫「5章 摂理について」『キリスト教神学概論』を軸に記載します。 カイロス(καιρός)という「時」を意味するギリシア語があります。 類語として挙げられるクロノス(κρόνος)との違いは、クロノスが「線」であることに対して、カイロスは「点」であるということ。つまり、クロノスは「一定の期間」(period of time)を指すののに対し、カイロスは「ふさわしい時」(appointed time)を指します。 カイロスは二つの側面を持っています。 ひとつは「機会」という側面。これについて、佐藤敏夫は『キリスト教神学概論』(「神学概論」のテキスト)において以下のように語っています。 人が何かをするとき、神が定める「正しい時」があるというのが信仰の立場である。そこには、神がよしとするとき、すなわち、「正しい時」(right time)に着手しなければ、決して事はうまく行かないという考え方がある。昔の人は、そういう感覚を今の人よりずっと持っており、それゆえに着手すべき日を気にした。戦いを始める時、結婚をすると時、家を建てる時、大いにそういう感覚に支配された。 (佐藤敏夫『キリスト教神学概論』) そして、もうひとつは「成就」という側面。 物事はカイロスがこなければ成就しないという感覚も、昔の人ほどもっていた。だから、子どもを教育して、一定の水準まで引き上げようとする際にも、一方では一生懸命そのために努力するが、他方、成就する時を待つという姿勢が生まれてくる。……これが忍耐ということである。(佐藤敏夫『キリスト教神学概論』) コヘレト(伝道者の書)3章の記述を思い出しますね。 このようなカイロスの概念の喪失が現代の特徴であり、 カイロスを「待つ」ことの喪失 だと佐藤は書いています。 この カイロスを待つことの喪失 を引き起こした原因は、 「時の支配者は誰なのか?」という問いがその答えを教えてくれる気がします。 時の支配者とは、創造主なる神である。 神は時間も創造されました。 人間が時の支配