しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。 - ヘブル人への手紙 11章16節

2011年4月29日金曜日

最近思うこと#3:「カイロス――我慢と忍耐について」

以前、このブログでこれから考えたいこととして、「我慢と忍耐の違い」について書きましたが、先日、勉強していてなるほどと思うことがあったので、「最近思うこと」としてここに書き記すことにします。
*考察の過程として書くので、間違いもあると思います。
*佐藤敏夫「5章 摂理について」『キリスト教神学概論』を軸に記載します。

カイロス(καιρός)という「時」を意味するギリシア語があります。
類語として挙げられるクロノス(κρόνος)との違いは、クロノスが「線」であることに対して、カイロスは「点」であるということ。つまり、クロノスは「一定の期間」(period of time)を指すののに対し、カイロスは「ふさわしい時」(appointed time)を指します。

カイロスは二つの側面を持っています。
ひとつは「機会」という側面。これについて、佐藤敏夫は『キリスト教神学概論』(「神学概論」のテキスト)において以下のように語っています。
人が何かをするとき、神が定める「正しい時」があるというのが信仰の立場である。そこには、神がよしとするとき、すなわち、「正しい時」(right time)に着手しなければ、決して事はうまく行かないという考え方がある。昔の人は、そういう感覚を今の人よりずっと持っており、それゆえに着手すべき日を気にした。戦いを始める時、結婚をすると時、家を建てる時、大いにそういう感覚に支配された。 (佐藤敏夫『キリスト教神学概論』)
そして、もうひとつは「成就」という側面。
物事はカイロスがこなければ成就しないという感覚も、昔の人ほどもっていた。だから、子どもを教育して、一定の水準まで引き上げようとする際にも、一方では一生懸命そのために努力するが、他方、成就する時を待つという姿勢が生まれてくる。……これが忍耐ということである。(佐藤敏夫『キリスト教神学概論』)
コヘレト(伝道者の書)3章の記述を思い出しますね。
このようなカイロスの概念の喪失が現代の特徴であり、カイロスを「待つ」ことの喪失だと佐藤は書いています。

このカイロスを待つことの喪失を引き起こした原因は、
「時の支配者は誰なのか?」という問いがその答えを教えてくれる気がします。
時の支配者とは、創造主なる神である。
神は時間も創造されました。
人間が時の支配者であるということは決してありません。
しかし、現代人は時間の支配者となっています。
人々は、時間を対象化し、空間化し、計量化し、自由に合理的、計画的に使い、大きな成果を挙げてきたのは事実でしょう。しかし、それと共に、時間に追われ、時間の奴隷となっている状況にあります。現代人は時間の主人になったために、神こそが時間の支配者であることを忘れています。

自分の力で時を支配しようとし、何かを待つことが我慢なのかもしれません。
そして、神こそが時間の支配者であることを知り、耐えつつ待ち、待ちつつ耐えること、それが忍耐なのでしょう。

忍耐とは、神を覚え、「カイロスを待つ」ということ。
我慢と忍耐の違いは「時の理解」。

そんなことを考えさせられながら、日々学んでいます。
心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず 常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば 主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。(箴言3:5,6)

2011年4月28日木曜日

まさかの11連休

明日から僕のGWが始まります。
今年はまさかの11連休です。

GWにやりたいこと① 勉強
自由な時間がたくさん取れるので、
M先生が出した、教会史の課題を出来る限り片付けたいと思ってます。
教会史、なかなか楽しく学んでますが、
課題がとっても多いから大変です。
M先生が入学前から言っていた通りでした。
頑張ります。

GWにやりたいこと② 実家に帰省
折角なので、2日間だけ帰省します。
目的は国民年金の諸手続きです。
スムーズに出来たらいいな……
帰省する際に一番気になっているのは、
愛犬ぺろが僕の事をちゃんと覚えているかどうか、です笑

GWにやりたいこと③ ギター
最近弾く時間がなかったので、久しぶりに思いっきり弾きたいな、と思ってます。
出来たら久しぶりに曲もつくろうかな。

2011年4月26日火曜日

日々の感謝

気付けば、入寮から3週間が経ちました。
こっちに来てから、色んな人にお世話になっています。

一人で過ごす僕をいつも気に掛けてくれる神学生とその家族たち、神学校の先生方、
食料をたくさんくださる三軒茶屋教会の方々、
温かく迎えてくれた教団事務のD先生ご夫妻、
国民年金について、しつこく質問したのにも関わらず、丁寧に対応してくれた区役所のお姉さん、
道に迷った時そこにいた郵便配達のお兄さん、
お弁当をつくってくれたS先生、
笑いの絶えない11同期会世話役の交わり、
これなくして僕の生活は成り立たない、ナザレンの方々からの多くの献金、
両親からの宅配便、
祈り支えてくれる小山教会、
……などなど。

たくさんの人達を通して、日々の必要が満たされています。

感謝と喜びを覚えながら、頑張ってます。

2011年4月23日土曜日

音楽と僕#2:「ギター」

ギターとの出会いはいつだったかは覚えていない。
僕が幼い頃から、父がギターを弾いているのを見ていたからだ。
「いつか大きくなったら弾きたいな」と思いながら、彼の姿を見ていた気がする。
もしかしたら父のそんな姿に憧れをもっていたのかもしれない。

ギターを初めて触ったのは、小5の時だった。
当時の担任が学校でよく弾いていて、素直にかっこいいと思ったのが影響した気がする。
しかし、すぐに挫折した(笑)。

あれは小6の頃だったかな。
GLAY、ラルク、Aerosmith、Deep Purpleといったロックバンドの音楽に僕はハマる。
ずっと教会で賛美歌を歌ってきたり、クラシックピアノを弾いてきた僕にとって、
ロックのような「トゲトゲした音楽」は刺激的だった。
いつか自分もバンドを組んで演奏したい!という思いを抱くようになった。

そして中1の夏、僕はギターを始めた。

そういえば、最近ギターを弾いていない
当時、ギターを弾くのがとにかく楽しかった。
楽しすぎて、よく部活をサボっていた笑
(もっと部活を誠実にやればよかったと、少し後悔していたりする)

ギターを始める前後に、奥多摩福音の家主催の夏の中学生キャンプに参加をした。
これまで教会で賛美していたものとは違う賛美の形に対し、驚きと感動と興奮が起こったのを何となく(笑)覚えている。
賛美を通して、
当時、教会に行きながら、何処か毛嫌いしていたキリスト教というものを、
前向きに捉えるきっかけになったのではないかと、今では思っている。
そう、僕は割と単純な男だ。
そうやって、僕は奥多摩キャンプの常連さんになっていった。

そして、2002年7月僕のターニングポイントが訪れる。

(続く)


◇「音楽と僕」◇
#1「ピアノ」

2011年4月21日木曜日

これから考えたいこと#2:「神学すること」

昨日の新約緒論の授業で、聖書批評学について学びました。
様式的批評学であったり、編集史批評学であったり、それぞれ興味深い研究方法だったのですが、
その中でM先生が言っていた言葉が印象的でした。
今の聖書学の問題は、神学者が大学の教授であること。彼らの研究は、教会やその信仰に全く反映されるものでなくなってしまっている。
僕らは学問としての神学の追求にいかに狂酔しやすいことか。
神学は、教会に仕えなければならない。
神学は、信仰をより豊かに養う助けであるべきだ。
この言葉を聞いたとき、奮い立たせられる思いでした。

僕自身、何を自分の専門として、これから深めていきたいか考えている途中なのだが、
やはり、これから僕が自分の内に築きあげていく神学が、
教会形成のためにあるようにと心から願っている。

教会に仕え、教会の信仰を養う助けとなる神学をすること。
(恐らく、すべての牧師に言えることだろうが、)
それはこれからの僕にとってのライフワークだと思ってます。

2011年4月19日火曜日

食材マネジメント

自炊の難しさを痛感しているここ数日です。
何が難しいかって、食材の管理が難しい。

先日、使おうと思って買ったもやしを一度も使わずにダメにしてしまいました。
消費期限が2日切れた豚肉を食べました。(今のところ無事です笑)
水菜も半分くらい使って、ダメになりました。

もうちょっと計画的に買い物しなきゃダメですね…
賞味・消費期限の短いものは少なめに買うように心がけます。

*毎日ちゃんと食べているので、ご安心を笑

2011年4月17日日曜日

モレノ#2:「自己管理」

教会月報『モレノ』(Monthly Report of the church of the Nazarene in Oyama)に掲載した原稿をアップします。

                               

自己管理』(教会月報「モレノ」2011年5月号掲載)

【はじめての一人暮らし】
無事に引越しが終わり、4月4日(月)から日本ナザレン神学校の寮に住み始めました。僕以外の神学生はみんな家族がいるため、僕はひとりで神学校の教授室に住んでいます。神学校での寮生活は、僕のはじめての一人暮らしになりました。
自炊、洗濯、買い物、すべてを一人でやるのはとても大変なのだな、と感じています。自炊の経験はほとんどないので毎日苦戦しています。しかし、積み重ねていくことで、少しずつ少しずつ慣れていくことを信じ、頑張っている日々です。(こういう経験をすると、これまでの生活への感謝がより深く起こされます。)

【家計簿】
僕の神学校での生活は、ナザレン教団のみなさんの献金で成り立っています。そのため、これまで以上にお金を正しく管理しなければいけないと思い、4月から家計簿をつけはじめました。僕ら人間は他の多くのものも神様から管理をゆだねられているのですが、特に金銭管理は目に見えてその結果が見えてくるものだと思っています。削るべきところを削り、必要なもの(主に図書費)にお金を使うために今後も頑張っていきたいと思います。

【そして、事件は起きた】
そんな中、早速事件は起きました。それは自転車を買った日のことでした。
引越し後は、身の回りの生活品を揃えるためによく買い物へ出かけていたため、自転車を買った日も出費は多くありました。その日の家計簿を付けていたら、財布の中身と家計簿の金額が合わなかったのです。何と5,000円も足りなかったのです。もしやと思い、1万円札を出したのに5,000円と勘違いされてしまった可能性のあるお店に電話したところ、「ウチのレジは機械が自ら判断し、自動でお釣りが出てくるのでそのミスはあり得ない」とのことでした。自分は与えられたお金を正しく判断出来なかったと、祈りの中で嘆き、悔い改めるときでした。
結果的に、今回の件は僕の勘違いで家計簿と財布の中身は一致しました。ですが、それでよかったといって終わらせてはいけません。今回のことを通して、「ゆだねられたものを正しく管理する」ということをより強く意識させられました。僕ら人間は、この世界を正しく管理する(神様のつくられたものを正しく治める)事が求められています(創世記1:28、2:15参照)。
これから歳を重ねれば重ねるほど、委ねられるものは多くなっていくと思っています。だからこそ、今自分が委ねられているものひとつひとつを正しく管理する事が出来るように、日々祈り続けていきたいと思います。やがて主が計り知れない大きな計画に僕自身を用い、その働きの一端を委ねようとするとき、それを正しく管理することができないという事がないように、神学校時代の自己管理(金銭管理はもちろん、時間管理、体調管理など)を主の訓練として受けていきたいと思っています。
キリスト・イエスによって与えられる信仰と愛をもって、わたしから聞いた健全な言葉を手本としなさい。あなたにゆだねられている良いものを、わたしたちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい。(Ⅱテモテ1:13,14)
およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。(ヘブライ12:11)
2011年4月9日

2011年4月16日土曜日

神学生な日々#1:「チャペルとピアノ」

先週このブログで、今は人に聴かせられるほど上手くピアノを弾くことは出来ないけど、いつかコード弾きならセンスよく弾けるくらいになりたい(音楽と僕#1:「ピアノ」)と書きましたが、早速そのチャンスが訪れてしまいました。

神学校では、授業がある日はお昼前に礼拝の時間を持っています。
今年はピアノ奏楽が出来る神学生がいないので、少しだけ弾ける僕に出番が回ってきました。
当分弾くつもりはなかったのに、こういう機会が与えられるなんて、不思議なものです。
折角与えられた機会なので、精一杯頑張ってみたいと思います。

高校時代はこんな感じで弾いていた気がする(出典:flickr
高校時代に礼拝奏楽をやっていたおかげで、
賛美歌のレパートリーも何曲かありました。
ずっと弾いていなかったけど、案外指は覚えているものなんです。

ちなみに、これまで弾いた曲は以下の3曲です。

・栄光イエスにあれ
・いつくしみ深き
・歌いつつ歩まん

*やるからには、レパートリーを増やしたいな…

2011年4月11日月曜日

「聖書を中心として聖書に教えられるキリスト者になれ」

先日、KGKの主事会セミナーというものに出席しました。
学生伝道の歴史の学びだったのですが、そこで印象に残った言葉を紹介します。
「聖書を中心として聖書に教えられるキリスト者になれ。神学体系の上に立つキリスト者になってはいけない。(Be Bible Christians, and not system Christians.)」(チャールズ・シメオン)
この言葉を通して、常に「聖書を中心として聖書に教えられる」ことの大切さを改めて教えられました。
僕はこれからの神学の学びの上で、様々な神学体系に出会うと思います。
そんな僕にとって、この言葉と出会ってから、
神学生としての学びを始めることができることにとても感謝しています。

今日は11:00~入学式です。
自分の召しを吟味する3年間が始まります。
これからの学びにも期待しつつ、臨みたいと思います。

2011年4月10日日曜日

明日は入学式です

今日は今年1年間お世話になる、三軒茶屋教会での記念すべき最初の主日でした。
教会員のみなさんが温かく迎えて下さり、本当に感謝でいっぱいの一日でした。
温かな交わりのある良い教会でした。
僕自身まだ不慣れな感じがありますが、少しずつ少しずつ慣れていけたらと思います。
これからの交わりに期待しています。

そして、三茶での奉仕が終わった後、ティーンズキャンプの卒業式に顔を出すため、青葉台教会へ行って来ました。そこでは、まさかの僕の神学校入学を祝って頂けました。
僕は喜びと感謝をもって送り出されるのだな、と実感しました。中高生のみんなにも送り出されて、ナザレン神学校での学びがスタートできることは喜びです。


そして、明日はいよいよ入学式です。
これから3年間の学びのためにお祈り頂けたら幸いです!

*今年1年間のCS奉仕は、元気な男の子たちと分級をすることになります。小山教会ではとっても元気な女の子たちが相手だったので、とても新鮮な気分です。

2011年4月9日土曜日

月曜から授業がスタートします

タイトルにもあるとおり、月曜日から授業がスタートです。
今日は神学生のみんなで勉強部屋(閲覧室)と図書館の整理をしていました。ビフォア・アフターがわかる写真を掲載できたらよかったのですが、写真を撮り忘れてしまったので、断念。
少しずつ、これから始まる学びに向けて備えている今日この頃です。

ひとつ喜びの報告。
どうやら、神学校にいると本を頂く機会が多いみたいです。
今週は8冊も頂きました!譲ってくださった方々に感謝!


*明日は奉仕教会(三軒茶屋)初日です!

2011年4月7日木曜日

音楽と僕#1:「ピアノ」

全5回で「音楽と僕」について書きたいと思ってます。(もしかしたらもっと書くかもしれません)
これまでの自分の歩みを振り返り整理すると共に、今現在、どのような意味を見出しているかを書き綴っていこうと思っています。駄文になる可能性大ですが(苦笑)、どうぞお付き合い下さい。

                       

そんなに知られていませんが、実は僕、ピアノが弾けます。
実は礼拝奏楽もしたことがあります。
今はもう下手すぎて人に聴かせることなんてできませんが…
でも、いつかコード弾きならセンスよく弾けるくらいになりたいな、とこっそり思ってます。
そんな野望はあります。
その「いつか」がいつ来るのかはわかりませんが…笑

さて、そんな僕ですが、ピアノは大嫌いでした。
幼稚園の年中辺りから小6まで約8年間習っていたのですが、
ピアノを弾くのも、習いに行くのも、辛い時間でした。

幼稚園の頃は、ピアノ教室へ行くのが嫌で、
押入れの中に隠れたりしていたのを覚えています。
すぐに見つかって連れて行かれたり、
罪悪感からか、ぎりぎりの時間に渋々出てきたり、
…と、そんな風に当時の僕なりに抵抗していました。

何が嫌だったかというと、
通っていたピアノ教室には、女の子しかいなかったからです。
そういえば、その内のひとりがいじめっ子で、
僕はよく泣かされてたような気がします。
あの頃は泣き虫だった…笑
もしかしたら、ピアノを弾いていた環境が嫌だったのかもしれませんね。

これが僕にとっての音楽でした。
いや、「音を楽しむ」ことが出来ず、苦しんでいた。
だから、「音苦」かもしれない。(「苦音」のが自然な響きですね)

まぁ、そんな嫌いなピアノでしたが、
今の僕は、ピアノを習っていたことに感謝しています。
楽譜を読めるし。
ピアノのお陰なのか、ギターの上達が早かった。
作曲をする上での助けにもなった。

そのような技術的な事にばかり目を留めていましたが、
最近になって気付かされたのは、
これがあったからこそ今の自分が形成されている、という事実です。

ピアノ嫌い(≒音楽嫌い)がギターと出会い、
ギターとの出会いにより、音楽を好きになり、
それを通して、出会った信仰の友との交わりが深められ、
その交わりの中で幼き信仰が少しずつ少しずつ育まれ、
神の言葉への信頼へと結びつきました。
(この辺の事についてはこれから少しずつ書いていく予定です)

恐らく他にも多くのものが、今の僕の信仰形成に影響を与えているのですが、
今の僕自身が見えているものでいうならば、ピアノはその先駆けとなっていました。
神様の計画の奥深さに圧倒されっぱなしです。
わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。(エレミヤ29:11)
(続く)

2011年4月6日水曜日

自転車購入

昨日、無事に自転車を買うことが出来ました。
クロスバイクというタイプの自転車で街乗りするのには、とても良いみたいです。
神学校から三軒茶屋(奉仕教会)、御茶ノ水(KGK事務所)などへ自転車で行くつもりなので、
これからたくさん活躍すると思います。
(早速、明日に御茶ノ水へ行く予定です)
そして、大学はいってからずっと運動不足だった僕に、
自転車が程よい運動の機会をもたらすわけです。

買ってから買い物へ行ったり、諸手続きをしに行ったりしたのですが、とても良い乗り心地です。
彼(自転車)は僕の絶大の信頼を勝ち取りました。
今日も夕飯の買い物時に大いに活躍してくれることでしょう!

最後に、僕の新しい相棒の写真を掲載。


*この調子で「趣味はサイクリングです」とでも言ってみようかな笑

2011年4月5日火曜日

これから考えたいこと#1:「我慢と忍耐の違い」

先日、「健全な信仰をどう育てるか」(丸屋真也著)を読み終わったのだが、そこに我慢と忍耐について書いてあったのが印象的だった。
試練に対処する際の態度として、「我慢」は受動的で、「忍耐」は能動的な姿勢です。この違いは非常に大きなものです。そして、この「忍耐」というのは我慢と違って、一時的なものに終わらず、継続し、習慣化することで生まれるのです。
そう、我慢と忍耐は別物だ。
それらを混同しちゃいけないらしい。
でも、振り返ってみると、自分が「忍耐」と思っていた事が、「我慢」だったと気付いたりもする。

では、我慢と忍耐は具体的にどのような違いがあるのだろうか?
そこをもっと掘り下げ、自分の中で消化したいと思ってます。

*いくつになっても、わかってるようでわかってないことのが多い

2011年4月4日月曜日

新生活に向けて#3:「入寮と今後の予定」

今日、入寮予定です。
次に家に帰ってくるのは5月の連休か9月でしょう。

今日の夕飯について考えながら、出掛けたいと思います(笑)。

今後の予定は以下の通り。

【7日】
KGK11同期会世話役ミーティング

【8日】
神学校オリエンテーション
KGK主事会セミナー(学生伝道の歴史について)

【10日】
三軒茶屋教会で初めての礼拝

【11日】
日本ナザレン神学校入学式&授業スタート


祈りに覚えて頂けたら幸いです。

*明日、明後日は神学校付近を散策します!

2011年4月3日日曜日

最後の礼拝、そして派遣

今日は小山教会での最後の礼拝でした。
小山教会に来てから2年半。
この教会で豊かな交わりが持てたこと、心から感謝しています。

礼拝で最後に賛美した曲は、「神の恵み豊かに受け」。
小山教会らしい賛美だなーと思いながら、この2年半この賛美と祝祷によって派遣されてきました。
今日の礼拝もいつもと同じように、この賛美と祝祷をもって、小山教会から神学校へと派遣されました。いつもと違うのは、これから派遣されていく場所。でも、御国のために働くという本質は変わらない。


「神の恵み豊かに受け」
(Sent forth by God's blessing)

神の恵み 豊かに受け
神の民は 勇み行く。
礼拝は終わった、その実りは
信じるものに 授けられる。
心の中に蒔かれたその種
行動の花を 開かせる。
神は招き、愛は結び、
御国のため 働こう。

神を賛美し、感謝しながら
日々の仕事 果たそうよ。
信仰を分かち 愛しながら
どんな人とも 肩を組もう。
恵みで育て 光で導き
みんなを一つに してください。
すべてのもの 賛美と感謝を
主キリストに ささげよう。

(『賛美歌21』91番より)

夏休みにまた帰れるのをとても楽しみにしつつ、
明日、僕は引っ越します。

*奉仕教会は、三軒茶屋教会に決まりました。

2011年4月2日土曜日

新生活に向けて#2:「チャリ」

入寮したら、自転車を買おうと思っています。
運動不足にならないように、サイクリングを定期的にする予定。
中学入学からこれまでの10年間、喜びも悲しみも共にした(笑)チャリとは当分お別れです。

そういうわけで、誰か、良い自転車の選び方を教えてください。

*関係ないけど、神学校の教室からdoor-to-doorで10秒以内の所に、僕が住む部屋があります。

2011年4月1日金曜日

最近思うこと#2:「待つこと」

最近、「待つ」という事を思うときに、常に心に留めることがある。それは、「この地上で待つことが求められているひとつひとつの事柄は、キリストを待ち望むための訓練」だということ。

僕らは日々、様々なものを待っている。
電車、人(遅刻はしない側でありたい)、宅配便、手紙(メール)の返事、給料日などなど……
そして、それぞれの人生のステージによって、待つものが用意されている。
僕のこれまでの経験から言うならば、試験の結果がすぐに思いつく。
そして、きっとこれからは帰郷(家族との再会)、結婚、子ども、成長、老い、死を待つのだろう。
(ヨセフ、ヤコブ、アブラハムを思い起こしながら書いてみたり)
共通しているのは、自分の思い通りにいかないという事だろうか?

僕ら人間には、このように色んなものを生涯待ち望む。
それは時に試練であり、苦しみだ。
忍耐が伴う。
シンドイ、というのが本音だろう。
決断をするときは興奮と感激があるし、
目的を達成したときには栄光と満足がある。
しかし、待つことが強いられているとき、中途半端に感じる。
だから、それはシンドイことだと思う。
でも、「この地上で待つことを求められている一つ一つの事柄を待つことが出来なくて、どうしてキリストを待ち望むことが出来るのか?」と思わされる。
そして、ローマの信徒への手紙の言葉を思い起こしたい。
……わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。(ローマ5:3-5)
昨日から「健全な信仰をどう育てるか」(丸屋真也、いのちのことば社)という本を読んでいます。そこに書かれていた言葉に「なるほど」と思わされたので、紹介します。
子どもの特徴は、欲しいと思うものはすぐに手に入れたがるということです。待つことができないのです。つまり、未熟さの特徴は忍耐がないことです。子どもは欲しい物が与えられないと、ところかまわず泣き叫びます。
きっと、忍耐が求められているときって、未熟な霊的子どもから、成熟した霊的大人へと成長するためのものなのだと思います。将来の希望を携え、その時々に求められる「待つ」事柄に忍耐していきたい。

でも、僕らは時に待てず、失敗する。
しかし、それも成長の過程。
その失敗も訓練なのだ。
そうやって、少しずつ少しずつ、待つことを教えられていく。
希望の光を灯し、忍耐することが出来るようになってくる。
そして、祈る。「マラナタ!(主よ、来てください!)」と。
そうやって、天の故郷にあこがれて生きるんだ。


*「最近思うことシリーズ」は、構成が雑な文章になること必死です(笑)。