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6月, 2011の投稿を表示しています

夏の予定

ようやく夏の予定が確定しました。 7月25~29日 夏季派遣準備期間(証や説教の準備をする予定) 7月30日~8月8日 夏季派遣(山陰地区) 8月11~13日 ナザレン関東地区ティーンズキャンプ(群馬のどこか) 8月16~19日 小学生第二キャンプ(OBC) そして、来週は月曜~金曜にボランティアのため東北へ行ってきます。 こちらも祈りに覚えて頂けたら幸いです。

モレノ#4:「あなたのパンを水の上に投げよ」

教会月報『モレノ』( Mo nthly  Re port of the church of the  N azarene in  O yama)に掲載した原稿をアップします。                                  『 あなたのパンを水の上に投げよ 』(教会月報「モレノ」2011年7月号掲載) 【あなたのパンを水の上に投げよ】 あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすだろう。(コヘレト11:1) 僕は毎朝、ディボーションの時として聖書通読をすると共に、最近はC.H.スポルジョンの『主の約束は朝ごとに』を読んでいます。この聖書の言葉は、6/1(水)に読んだものです。ちなみに、新改訳では「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見出そう。」と書かれています。 「パンを水の上に投げる」なんてとてもナンセンスなことだと思うかもしれません。でも、実際、僕らは日々、パンを水の上に投げているかのような経験をします。そのようなことがとても多くあります。 しかし、この箇所は、主にあって僕らの日々の労は空しくなるということはないことを教えてくれます。「月日がたってから」、「ずっと後の日になって」、僕らはそのパンを「見出す」という神様の約束が聖書に書かれているのです。 【6年という月日――そこで見出したもの】 5月末に、2人の男子高校生と一緒に夕食を食べに行きました。実はこの2人、僕が高2のとき、奥多摩での小学生キャンプで初めて受け持った子たちなのです。彼らはもう高校3年生。出会った頃は小学6年生だった彼らも、6年という月日が流れた今、当時の僕よりも年上になっていました。 僕が高校生キャンプの奉仕が日程の都合上出来なかったため、彼らと会うのは2年振りでした。そして、キャンプ場以外で、つまりプライベートで彼ら会うのは初めてでした。これは、約6年キャンプ奉仕をしていて初めての経験だったので、とても感慨深いものでした。キャンプ場での「キャンパー」と「スタッフ」という関係で終わることなく、僕は彼らと「友」として会うことを許されたのです。 6年前に投げたキャンプ奉仕というパン。それはすぐに結果を見出すことはなかなかできないし、あったとしてもとても気付きにくいものです。小さな拙い奉仕であったにも関わらず、僕はそ

神学生な日々#4:「古典に触れること」

最近、クラシックを聴く時間が増えてきました。 理由はいくつかありますが、何より大きいのは、無料で音源を手に入れることができること。 クラシック音楽の著作権が切れている音源が、アップロードされているwebサイトを見つけた(興味のある方は、 こちら から)んです。 とりあえず、有名どころを落として、勉強の休憩時間や寝る前に聴いてる日々です。 気付かされるのは、古典に触れることの大切さ。 この曲はどういう背景を持っているのかな、とネットで調べてみると、 僕が普段聴く曲は、その曲が土台となって作られているなんてこともある。 いや、寧ろ、そういうものの積み重ねで今僕らが聴いている音楽は成り立っている。 ロック好きな僕が、プレスリーやビートルズ、ストーンズなどと出会ったように。 今を構成している要素を知るために、古典に触れていくことは意義深い。 どんな学問もそういう積み重ねで今が成り立っている。 だから、古典に触れろと言われるのだろう。 神学もそれと同じで、古典に触れることの大切さを思わされている。 キリスト教神学は、2000年もの歴史が積み重ねって今がある。 聖書の歴史も含めると、人類の歴史そのものを読み解くことになっていく。 神学をするということは、なんて深淵な作業なんだと驚かされます。 正直、3年じゃ足りない。 でも、3年ある。 焦らず、じっくり基礎を固めようと思う。 でも、授業がある学期中は、日々の課題をこなさなきゃいけないので、今、「ツン読」がどんどん増えているんです。 だから、自由に自分の読みたいものが読める夏期休暇が、今、とても待ち遠しい。