しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。 - ヘブル人への手紙 11章16節

2011年7月17日日曜日

モレノ#5:「前期授業終了」

教会月報『モレノ』(Monthly Report of the church of the Nazarene in Oyama)に掲載した原稿をアップします。

                               

前期授業終了』(教会月報「モレノ」2011年8月号掲載)


【前期授業終了】
あと1日で前期の授業が終わります。ここまで体調も崩すことなく、毎日の生活も守られました。教会のみなさんのお祈りにいつも感謝しています。

【聖書をよく学ぶ者に】
4月は神学というものをどう勉強してよいかわからず、戸惑っていました。学ばければいけないことの量の多さに圧倒されていました。語学(ギリシア語、ヘブライ語、英語、ドイツ語)、聖書、教会史、組織神学、実践神学、何よりも神学の基礎知識を身につけなければいけないと焦りを覚えながら始まった学びだった気がします。
そんな僕にとって、5月の連休で読んだ『説教と説教者』(D.M.ロイドジョンズ)という本との出会いによって、強く励まされました。牧師として、説教者として立てられようとしている自分自身を改めて意識し、力強く背中を押されるには十分な内容でした。何より、聖書から教えられ続け、聖書をよく学ぶ者でありたいと強く思わされました。
そのため、最近は緒論の勉強に力を入れだしました。しかし、特に旧約は日本語で勉強することの限界を覚え、やむを得ず、旧約聖書緒論(学ぶために知っておくべき各書簡の全体像やそこで語られている神学、これまでの研究など)を英語で学ぶことを決心しました。この夏、僕に与えられたひとつのチャレンジです。明確な目標(近年の旧約聖書緒論の把握)があればあるほど、そのための手段(英語)は身につけやすいであろう事を期待しつつ、取り組んでいきたいと思います。英語を学び始めて10年経ち、ようやく火がついてきました。

【祈り】
6月は自分の祈りについて深く反省させられるときでした。東北でのボランティアを通して、如何に祈るべきところに心を注ぎきれていないかを痛感。そして、友人から贈ってもらった『祈りによる力』(E.M.バウンズ)という本を読み、「いのちを奪う説教は祈りを伴わない説教です。祈りがなくては、説教者はいのちではなく、死を生み出すだけです。祈りにおいて力のない説教者は、また人々にいのちを与える力も弱いのです」という言葉と出会う。これはかなりインパクトのある言葉で、自分自身の朝の祈りとみことばに聞く時を見直していくのに、十分な動機付けとなるものでした。

【交わりに支えられ】
神学校での生活は、ある意味で孤独との戦いです。他の神学生たちとも豊かな交わりが与えられているのですが、彼らには家族がいます。ふと気付くのは、自分はひとりであること。これは時に(一人暮らしをする以上に)寂しさを感じる環境です。しかし、これは神の前に一人で歩む訓練なのだと受け止め、生活する日々です。そして、そのような中、教会の交わりや学生時代に出会った友人たちとの交わりに僕は支えられていることに気付かされ、感謝を覚えます。

【そして、夏季派遣へ】
前期の授業が終わるとすぐ、夏季派遣への準備が始まります。夏季派遣では、後半に3回説教する機会が与えられているので、その準備のために夏季派遣の日まで空いた日を使う予定です。今回の説教奉仕は、初の礼拝での説教奉仕になります。正直、三軒茶屋教会での説教が、初だと思っていたので、不意を突かれた感が若干あります。しかし、与えられた機会に感謝して取り組んでいこうと思います。どの聖書箇所から、どのような言葉が与えられ、どのようにして言葉を紡いでいくのか、今からとても楽しみです。