しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。 - ヘブル人への手紙 11章16節

2011年8月21日日曜日

モレノ#6:「召しを新たに」

教会月報『モレノ』(Monthly Report of the church of the Nazarene in Oyama)に掲載した原稿をアップします。

                               

召しを新たに』(教会月報「モレノ」2011年9月号掲載)


7月30日(土)~8月8日(月)に山陰地区へ行って来ました。教会のみなさんの祈りに支えられ、無事に10日間の夏季派遣を乗り切ることができました。お祈り感謝します。今回は短く今回の夏季派遣の報告をさせて頂きます。

【自分にとっての「献身の証」】
夏季派遣が終ったからこそ書けることなのですが、正直言うと、今回の派遣はあまり乗り気ではありませんでした。というのは、献身の証(こちらに掲載しています)をする機会が多かったからです。
僕が自分自身の献身を話すとき、召しの御言葉(ヨハネ21:15-19)と共に、教会の転会について語ることを避けることはできません。20歳の時、生まれた頃から通っていた教会から小山教会へ転会しました。その事実は決して変わることがありません。そして、その事は僕の心の内に深く刻まれています。これまで献身の証をする機会が与えられ、その中で教会の転会の話をするたびに僕の心は痛みを感じていました。きっと、この痛みを訪れる教会で毎回感じる。それを思うと、初めて訪れる地、初めて訪れる教会、初めて会う人たちとの交わりを楽しみにしながらも、なかなか今回の夏季派遣に前向きな気持ちで臨む気にはなれませんでした。
7月29日、そのような思いを抱きながら、僕は夜行バスに乗り、山陰地区へと旅立ちました。

【はじめての礼拝説教】
夏季派遣では、礼拝説教の奉仕をさせて頂く機会が与えられました。そのため、説教箇所を決めてから、そのテキストと向き合う日々でした。選んだテキストはⅡコリント12:7-10。パウロは「とげ」を与えられ、そのとげを通して弱さの内に働くキリストの力に気付き、それゆえに自分の弱さを誇るという箇所です。夏季派遣中、このテキストと向き合い続けました。
僕にとっての「とげ」とは、もちろん、教会の転会でした。これが僕に痛みを与え続けていました。この「とげ」が与えられている理由は何なのだろうと、改めて考えなおす日々でした。

【召しを新たにされていく】
今回の夏季派遣は、4つの教会(出雲、松江、久村、米子)で献身の証、2つの教会(出雲南、木次)で証を交えた説教をする機会が与えられました。予想通り、僕は各教会で証をする度、胸が痛みました。「とげ」が今まで以上に深く突き刺さるのを感じました。しかし、証をする毎に、今抱いている痛みを前向きに捉えられるようになっていることにも気付かされました。自分の証の中に書かれている「あなたが痛みを覚える場所に、神様は同じように痛みを覚えていて、そこにあなたを遣わされる」という言葉から励ましを受けたのです。もちろん今も、そしてこれからも痛みは覚えるのでしょう。しかし、この痛みが教会に目を向けさせ、主に喜ばれる教会を建て上げよと僕の背中を押し続けています。主が愛されたように教会を愛せよ、と。御言葉と共に、主はこの「とげ」を通して、僕に語られていました。
このようにして、自分の献身の証と10日間の夏季派遣を通して、自分の召しを再確認し、その召しを新たにされました。「わたしの羊を飼いなさい」(ヨハネ21:17)、「わたしに従いなさい。」(ヨハネ21:19)という主イエスの言葉を改めて受け取ることが出来ました。日々、自分に与えられている召しを確認しつつ、与えられている務めに喜びをもって励みたいと願います。
献身の証を語る機会が多く与えられていたことを心から感謝しています。主の支えと、教会のみなさんの祈りに感謝しつつ。

涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は/束ねた穂を背負い/喜びの歌をうたいながら帰ってくる。(詩編126:5,6)