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9月, 2011の投稿を表示しています

説教#6:「約束の民」(たまちゅう合宿#1)

9月16〜17日にKGKの多摩ブロックと中央線ブロックの合同合宿(略して「たまちゅう合宿」だそうだ)に、講師として参加してきました。「派遣意識」というテーマとエフェソ4:1がテーマ聖句として与えられ、当日は2回語る機会を与えられました。祈りに覚えてくださった皆さん、感謝します。日大合宿同様、合宿でした説教を少しずつ公開していきます。 #1「約束の民」 ( こちら で説教が聞けます) 聖書 出エジ1:22〜2:10、エフェソ4:1〜4 日時 2011年9月16日(金) 場所 KGK たまちゅう合宿(大沢地青少年センター) 【はじめに:派遣意識】 今回、派遣意識というテーマについて、共に合宿を通して考える機会が与えられています。 KGKでは、そのスピリットとして、派遣意識を掲げ、 「神があなたを今いるその学校へと遣わしているんだ」と言っていますが、 実際問題、私たちはこの神の派遣を、神の召しをどのように考え、受け取ればいいのでしょうか。 今回、エペソ4:1の「召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい」(新改訳)というテーマ聖句が与えられました。 私たちに与えられた召しとは何なのでしょうか。 今、この時代に生かされ、この場所にいる。 学生として、大学や短大、専門学校などで学んでいる。 それぞれに帰る家庭や教会があり、 多くの人々との輪の中で、私たちは生きています。 私たちが今、この場所で生かされていることにどのような意味があるのでしょうか。 今回の多摩・中央線ブロック合同合宿では、 モーセというひとりの信仰者と、彼の属していたイスラエルという共同体を通して、 自分たちの召しについて共に考えていきたいと思います。

Macじゃないよ、アルバムだよ

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先週の土曜日、久しぶりにshine(以前僕がやっていたバンド)のメンバーで集まりました。 僕ら、練習が終わるとみんなでよくラーメンを食べに行っていたので、 久しぶりにみんなでラーメンを食べに行きました。 学生時代よく行っていたラーメン屋だったこともあり、とても懐かしく感じるときでした。 そこでこんなものを手に入れました。 MacBook? 一瞬、MacBookに見えますが、アルバムです。 実は今回の集まり、ライブやCDなどの売上で余ったお金を使って作成したアルバムを受け取るのが目的でした。(頑張ってつくってくれたリーダーSに感謝) アルバム表紙 早いもので、活動休止から1年半。 アルバムを見ていると、自分自身を成長させてくれたのはこの交わりだったなと改めて気づかせてくれます。 そして、「青春だね」って言いたくなる。 それなりに照れくさいんです。 アルバムもそうだけど、「shine」は一生の宝物です。 懐かしのレコーディング合宿 最後はみんなでお互いのアルバムに寄せ書きして、解散しました。 許されるなら、また同じメンバーで一緒に演奏したいものです。 *見たい人は僕かメンバーまで。自慢しますw

説教#5:「愛のとりなし手」(日大KGK夏合宿#3)

#3「愛のとりなし手」 ( こちら で説教が聞けます) 聖書 創世記18:16-33、Ⅰコリント13:1-13 日時 2011年9月2日(金) 場所 日大KGK夏合宿(津田沼保守バプテスト教会) 【はじめに:ソドムとゴモラ】 私たちは日々、この世界の罪や悪の現実を目の当たりにしています。 私たちの生きるこの世界は、モラルが低下し、不義で溢れています。 人々の罪で溢れ、不正や争いごとが絶えません。 今日のこのテキストに出てくるソドムとゴモラという町は、 聖書において、罪に溢れた世界、堕落の象徴として頻繁に出てくる町です。 そこは不正や悪がはびこりる、不道徳な町でした。 このソドムとゴモラについて、エレミヤ書にはこのように書かれています。 エルサレムの預言者たちの中にも、 恐ろしい事をわたしは見た。彼らは姦通し、うそをついて歩き、悪を行う者どもの手を強くして、その悪からだれをも戻らせない。彼らはみな、わたしには、ソドムのようであり、その住民はゴモラのようである。(エレミヤ23:14) ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、その罪はきわめて重かったのです。

モレノ#7:「初の合宿講師」

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教会月報『モレノ』( Mo nthly  Re port of the church of the  N azarene in  O yama)に掲載した原稿をアップします。                                  『 初の合宿講師 』(教会月報「モレノ」2011年10月号掲載) いつもお祈り感謝します。夏の奉仕報告第二弾として、今回は日大合宿の報告を短くしたいと思います。 【夢】 9月1~3日、日大KGK(キリスト者学生会)合宿に講師として参加してきました。卒業してからこんなにも早く講師として合宿に呼ばれるとは思ってもいなかったので、正直、驚きでした。しかし、これは僕がこっそり抱いていた夢でもありました。卒業後、合宿の講師としてこの交わりに帰ってくる。予想以上に早い夢の実現でした。説教者としてまだまだ未熟な僕を、彼らが呼んでくれたことに心から感謝しています。 【関係の中で】 日大合宿では「祈り」をテーマに4回の説教を依頼されました。今回の合宿は、「関係」という言葉をキーワードに説教を準備しました。祈りは、神との「関係」、隣人との「関係」という視点で聖書箇所を選び、合宿へと臨みました。 合宿当日、説教をしていて気付かされたのは、僕自身が日大KGKのメンバーとの「関係」の中で説教をしていることでした。夏季派遣中にした説教とは、まったく違う印象を覚えながらの説教でした。夏季派遣では、はじめて会う人たちに対しての説教だったので、準備の段階からとても難しさを感じていました。しかし、この合宿での説教奉仕は、これまで一緒にKGKで活動してきた、気心知れたメンバーに対してのものだったので、とても語りやすさを感じました。それだけではなく、今回の奉仕は、彼らとの「関係」の中で言葉を紡いで語ることのできた奉仕の時でした。交わりの中で言葉が深められていくことを強く感じました。 【学びの意味】 今回、合宿に講師として呼ばれたのは、僕自身にとってとても大きな意味がありました。神学校で学んでいる意味を再確認できたからです。自分が今学んでいることが、ナザレン教団以外の人たちにも意味があることだという事を実感できました。小山教会や三軒茶屋教会、ナザレン教団の人たちだけでなく、今まで関わってきた一人ひとりの顔を思い浮かべながら、後期からの神学校で

夏休み最後の奉仕

いよいよ夏休み最後の奉仕です。 ここまで体調を崩さずにやってこれて本当に感謝しています。 今日から1泊2日、KGKの中央線・多摩ブロック合同合宿に参加します。 講師として2回の説教予定です。 学生時代、あまり関わることのなかったブロックなので、 卒業後こうして交わりが許されたことに驚いています。 出会うひとりひとりとの交わりを感謝し、楽しみにしつつ、臨みたいと思います。 お祈りください。 *これから荷造りして、1時間半後に出発です。

説教#4:「ひとり、神の前に進み出る」(日大KGK夏合宿#2)

#2「ひとり、神の前に進み出る」 ( こちら で説教が聞けます) 聖書 創世記32:22-32、コロサイ4:2 日時 2011年9月2日(金) 場所 日大KGK夏合宿(津田沼保守バプテスト教会) 【はじめに:祈りは生き方と結びついている】 昨夜、“lex orandi, lex credendi”(レークス・オランディ、レークス・クレデンディ) という言葉を紹介しました。 「祈りの法則は信仰の法則」という意味のこの言葉は、 時に”lex vivendi”(レークス・ヴィヴェンディ)、「生活の法則」という意味の言葉が後に付けられて語られます。 祈りの法則は信仰の法則、信仰の法則は生活の法則なのです。 私たちの祈りが私たちの信仰と結びついているならば、 生活、つまり生き方と結びつかないわけがありません。 今朝私たちに与えられたテキスト、創世記32:22-32は、 ヤコブの人生の転換点と言える、とても重要な場面です。 ヤコブが神に向かっていく姿から、私たちは祈りについて教えられたいと思います。

10月にフィリピンへ行きます

10月末にフィリピンで開催される、ナザレン教団のアジア・パシフィック宣教指導者カンファレンスというものに急遽参加することになりました。 約10年ぶりの海外になるので、パスポートの申請をしなければなりません。 多分間に合うと思いますが、 出来る限り早くパスポートが取得できるようにお祈りください。

説教#3:「神の約束を見つめて」(日大KGK夏合宿#1)

9月1〜3日に日大KGK夏合宿に、講師として参加してきました。 "Let's pray"というテーマと、テーマ聖句としてコロサイ4:2が与えられ、 当日は4回、語らせて頂きました。 祈りに覚えてくださったみなさん、感謝します。 合宿でした説教を、少しずつ公開していきたいと思います。 *普段は新共同訳聖書を使っていますが、今回の日大合宿では、参加者全員が新改訳聖書を使用していたので、新改訳聖書第三版から説教準備しました。 #1「神の約束を見つめて」 ( こちら で説教が聞けます) 聖書 創世記32:3-12、ヨハネ3:16 日時 2011年9月1日(木) 場所 日大KGK夏合宿(津田沼保守バプテスト教会) 【はじめに:信じているようにしか、祈れない】 今回の日大合宿は、「祈り」というテーマが与えられました。 私が大学に入学し、この交わりに加えられる前から、日大KGKは祈りを大切にしている学内グループでした。 そんな日大KGKに集う私たちにとって、 そして何より、キリスト者である私たちにとって、 祈りというものはどのようなものなのでしょうか。 毎日のディボーションのとき、 困難に遭うとき、 喜びのとき、 周囲の人々をとりなす必要を覚えたとき、 病気のとき、 礼拝のとき、 食事のとき、 寝静まるとき、 学内聖研のとき、 祈り会のとき、 何か行動を起こそうとするときなど、 様々な時に、様々な場所で、様々な状況下で、私たちは神の前に祈りを捧げています。 祈りというものは、私たちクリスチャンにとって実に日常的なものです。 そんな祈りについて考える上で、その導入として、ケレスティヌス1世という5世紀のローマ教皇の言葉を紹介したいと思います。 “lex orandi, lex credendi”(レークス・オランディ、レークス・クレデンディ) これは、「祈りの法則は信仰の法則」という意味の言葉です。 この言葉は、私たちの「祈り方が信じている事を決定する」ということを意味しています。 信じているようにしか祈れない、と言い換える事もできるでしょう。 では、私たちは何を信じているのか。 何に祈っているのだろうか。 当然、ここに集う私たちは神を信じている。 そして、神に祈っている、と答えるでしょう。 では、その神とはどのような

日大合宿、無事に終わりました。

2泊3日の日大KGK夏合宿が無事に終わりました。 今回、初の講師としての奉仕で、不安も覚えたりしましたが、 4回の説教がすべて守られました。 お祈り感謝します。 とにかく今は寝たいです。 なので、報告は後日にし、 今日は明日に備え寝ることにします。 おやすみなさい。