しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。 - ヘブル人への手紙 11章16節

2015年4月26日日曜日

説教#66:「主イエスにある誇りをもって」

主イエスにある誇りをもって
聖書 コリントの信徒への手紙 第一 15:29-34、エレミヤ書9:22-23
日時 2015年4月26日(日) 礼拝
場所 日本ナザレン教団・小岩教会

【何を誇りとして生きているか?】
「あなたが誇りとするものとは何ですか?」と問い掛けられたら、
どのように答えるでしょうか。
ある人は、自分の能力を誇り、
またある人は、経済的な豊かさを誇るでしょう。
社会的な地位を誇る人もいれば、
自分の家族や、自分の生まれ故郷を誇る人もいます。
何を誇りとして生きているかは、人それぞれです。

2015年4月19日日曜日

説教#65:「神の国を待ち望む」

神の国を待ち望む
聖書 コリントの信徒への手紙 第一 15:20-28、イザヤ書65:17-25
日時 2015年4月19日(日) 礼拝
場所 日本ナザレン教団・小岩教会

【変化を切望するとき】
私たちは、生きていく中で、変化を求める時があります。
もちろん、悪い変化ではなく、良い変化です。
辛く、苦しい状況がずっと続いているときは、
そこから抜け出すという変化を求めます。
それは試験勉強であったり、友達付き合いであったり、
仕事や家庭で起こったトラブルであったりします。
困難に直面した時、試練にあう時、
そして、自分の力ではどうしようもできない状況に陥る時、
状況が少しでも良くなってほしいと願い、私たちは変化を求めます。
今が、とても苦しいからです。

2015年4月12日日曜日

説教#64:「復活の主イエスに希望を置く」

復活の主イエスに希望を置く
聖書 コリントの信徒への手紙 第一 15:12-20、エレミヤ書17:5-10
日時 2015年4月12日(日) 礼拝
場所 日本ナザレン教団・小岩教会

【コリント教会の問題:死者の復活の否定】
パウロはコリント教会の人々に、「最も大切なこと」として、福音を伝えました。
あなたがたが受け入れ、生活の拠りどころとしている福音とは、
「キリストが私たちの罪のために死んで、葬られたこと」、
「キリストが三日目に復活したこと」、
そして、「復活の主キリストが多くの人々の前に現れたこと」である、と。
パウロは、この最も大切なことについて述べる際、
3点目のことである「復活の主キリストが多くの人々の前に現れたこと」を特に強調しました。
しかし、彼はこの手紙の15章全体では、2点目を強調しています。
確かに、キリストは死者の中から復活したのだ、と。
パウロは言います。
キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。(Ⅰコリ15:12)
どうやら、コリントの教会では、死者の復活を否定する人々がいたようです。
これこそ、パウロがコリント教会へ宛てた手紙の中で、
キリストの復活というテーマについて触れなければならなかった理由です。
コリント教会が抱えていた問題は、私たちにとっても重要な問題です。
それは、常識と経験に基づいて物事を考えるならば、
キリストの復活などあり得ないことなのですから。
しかし、そのようなあり得ないことこそ、
私たちが受け取り、信じている「最も大切なこと」なのです。

2015年4月5日日曜日

説教#63:「最も大切なことをあなたがたに」

最も大切なことをあなたがたに
聖書 コリントの信徒への手紙 第一 15:1-11、イザヤ書53:8-10
日時 2015年4月5日(日) 礼拝
場所 日本ナザレン教団・小岩教会

【何を大切なこととして生きているのか?】
私たちは、何を「大切なこと」として生きているでしょうか?
家族の絆。
愛情深くあること。
挨拶をすること。
人に誠実であること、など。
きっと、人それぞれ色々な答えが返ってくるでしょうが、
誰もが、何らかのものを「大切なこと」として生活していることでしょう。
私たちが考える大切なことが、他の人から大切にされないとき、
私たちは失望や危機感、不快感といった感情を覚えることがあります。
しかし、私たちは常に正しいとは限りません。
常に「大切にすべきこと」を大切に出来ているとも限りません。
たとえば、愛情深くあることは、すべての人にとって共通の大切なことでしょう。
しかし、私たちは、打算的に、自己中心的に生きることが多くあります。
思い違いによって、間違えることもあれば、
自ら進んで、大切なことを大切にしないこともあります。
「大切なこと」。
それは、教会やクリスチャンにとってもあります。
では、教会にとって「最も大切なことは何か?」と問われたら、
一体何と答えるべきなのでしょうか?
パウロは、コリントの教会に送った手紙の15章で、この問いに答えているのです。
教会にとって、そして、クリスチャンにとって、最も大切なことについて、
彼は力強く語っているのです。