神学生な日々#2:「ギリシア語はじめました」 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 5月 16, 2011 11連休が終わり、先週から授業が本格的になってきました。今年はM先生が以前から言っていた通り、ギリシア語と教会史が大変そうです。なので、そこに力を注いでいく一年になりそうです。ギリシア語を挫折せずに、この1年で習得できるようにお祈りいただけたら幸いです。 *聖書をギリシャ語で読める日が来るのが楽しみです^^ リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
夢 - 8月 03, 2011 僕にはひとつの夢がある。 いや、あったという方が正しいだろう。 なぜなら、この夏、その夢が早くも実現するからだ。 僕が抱いていたひとつの夢は、 この春卒業した日大KGKの合宿に講師として足を運ぶ事。 驚いたことに、色々アクシデントが重なった(らしい)ため、 僕のもとに講師依頼の電話が掛かってきた。 驚きと共に、喜び。 卒業してまもなく、こんなにも早く呼んでくれるなんて。 テーマは「祈り」。 正直、どこまで彼らの期待に応えることが出来るかわからないが、 誠実に準備して、当日臨みたいと思います。 *「牧師になったとき、日大KGKの合宿に講師と呼ばれること」に変更しようかな笑 Read more »
説教#146:「マリアと共に歌え」 - 12月 18, 2016 「マリアと共に歌え」 聖書 ルカによる福音書 1:46-56、サムエル記 上 2:1-10 2016年 12月 18日 礼拝、小岩教会 【私たちは歌う】 皆さんはどのようなときに歌を歌うでしょうか。 もちろん個人差はあるでしょうが、 私たちは様々なときに歌を口ずさみます。 単調な作業を続けているときは、 その場を華やかに、また楽しくするために、 口笛を吹いたり、鼻歌を歌ったりします。 子育て中の方は、子どもと一緒に遊んだり、 子どもをあやしたりするために歌います。 「いろは歌」や「アルファベットの歌」など、 歌を用いて、必要な知識や教養を身につけることは、 恐らく多くの人たちが経験してきたことでしょう。 また、単純に歌うことが好きだから歌う人もいれば、 ストレスを発散する目的で、大声で歌う人もあるでしょう。 このように、私たちは生活の様々な場面で歌を歌ってきましたし、 きっとこれからも歌い続けます。 楽しいときも、悲しいときにも、 嬉しいにも、苦しいときも、 その時、その瞬間の自分の気持ちに寄り添ってくれる歌を 私たちは選び、歌を口ずさみます。 Read more »
説教#167:「嘆きと悲しみは逃げ去る」 - 5月 14, 2017 「嘆きと悲しみは逃げ去る」 聖書 マタイによる福音書 9:27-34、イザヤ書 35:5-10、詩編40 2017年 5月 14日 礼拝、小岩教会 【憐れみを必要としていた二人の人】 悲鳴にも似た叫び声を上げながら、2人の人が、 イエス様のもとに近づいて来ました。 彼らが抱えていた問題とは、目が見えないことでした。 生まれつきだったのか、それとも、何らかの事故や病気が原因だったのか、 彼らが目が見えない、詳しい理由はわかりません。 どのような理由で、目が見えなくなったにせよ、 私たちが思う以上に、彼らは困難を抱えていたと思います。 イエス様の生きた、今から2,000年ほど前の時代は、 現代のように、点字ブロックが道に敷かれてはいませんでしたし、 目が見えない人の生活のために必要な配慮は、 それほど多くはなされていませんでした。 ユダヤの律法に「目の見えぬ者の前に 障害物を置いてはならない」(レビ19:14)とあるように、 目が見えない人たちを保護し、助けることは、神の命令でした。 しかし、どれだけ、この言葉は守られていたのでしょうか。 実際、目が見えないことが原因で、 仕事にも就けず、誰の助けも得られずにいたため、 物乞いをして、何とか生活を続けていた人たちが、 この時代には何人もいました。 生活上の困難に加えて、彼らは多くの苦しみを、その心に負っていました。 「なぜ自分は目が見えないでいるのだろうか。 これは、神から与えられた罰なのではないだろうか。 一体、自分の何が悪かったのだろうか」と。 これらの疑問に答えてくれる人は誰もいませんでした。 いや、このようなことを誰かに尋ねることは、とても勇気のいることです。 もしも誰かに尋ねた結果、「お前が神に愛されていない、 罪人であるからだ」などと言われたならば、もう立ち直れません。 ですから、目が見えない人々の多くは口を閉ざし、 今の自分が置かれている現状を、ただ受け止める他なかったのです。 そこには、将来への希望や、喜び... Read more »
コメント
コメントを投稿