投稿

説教#69:「主に導かれ、主のわざに励む群」

『 主に導かれ、主のわざに励む群 』 聖書  コリントの信徒への手紙 第一 15:58、創世記45:3-8 日時 2015年5月17日(日) 礼拝 場所 日本ナザレン教団・小岩教会 【復活は、私たちにとってとても重要な事柄】 「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから」と言ってパウロは、 15章の最後の言葉を語り始めます。 これまで積み重ねてきた議論が土台となって、これから語る言葉があるため、 パウロはここで「こういうわけですから」と言っているのです。 神が私たちに与えた福音を私たちは受け取っているのだから、 あなたがたは「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい」。 復活という、最も重要な大切にすべきものを、今、信じているのだから、 あなたがたは「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい」 とパウロはここで勧めているのです。

説教#68:「勝利の日を待ち望む」

『 勝利の日を待ち望む 』 聖書  コリントの信徒への手紙 第一 15:50-57、イザヤ書55:10-13 日時 2015年5月10日(日) 礼拝 場所 日本ナザレン教団・小岩教会 【私たちは日々変化を経験する】 私たちはこれまで、誰もが変化を経験してきました。 入学、卒業、入社、結婚、出産、退職など、人生のその節目、節目に。 そして、イエス・キリストと出会った時に。 これまで私たちが経験してきた変化は、 私たちそれぞれの生き方に、様々な影響を及ぼしてきたことでしょう。 良い変化もあれば、悪い変化もありました。 また、変化はこれからも様々な形で、私たちの身の回りで起こってくることでしょう。 神は、将来私たちに大きな変化を起こしてくださることを、 聖書を通して約束してくださっています。 それは、私たちがこれまで経験したこともないほどの大きな変化です。 この手紙の著者である使徒パウロは、その大きな変化についてこう言っています。 「キリストによって与えられる勝利を通して、その変化は起こる」と。

説教#67:「天に属する者たちよ」

『 天に属する者たちよ 』 聖書  コリントの信徒への手紙 第一 15:35-49、創世記5:1-5 日時 2015年5月3日(日) 礼拝 場所 日本ナザレン教団・小岩教会 【体の復活を否定する人々の存在】 パウロは、コリント教会の人々が抱いている疑問についてこのように語りました。 死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。(Ⅰコリ15:35) ここでパウロは、「どんな形で死者は復活するのか」ということを問題にしています。 パウロがこの問題を取り扱ったのは、 コリント教会の人々が、死者の復活について誤った理解をしていたからです。 彼らは、ギリシア人的な物の考え方に強く影響を受けていました。 ギリシア人的な物の考え方によれば、肉体は魂の牢獄です。 ですから、彼らは「体の復活」など馬鹿らしいことだと考えました。 彼らにとって救いとは、魂が体から逃走することでした。 しかし、聖書は、復活をそのようなものとしては教えていません。 また、パウロが大切なものとして受け取った福音も、そのようには語っていません。 ですから、パウロは「からだの復活」について、コリント教会に語る必要があったのです。

説教#66:「主イエスにある誇りをもって」

『 主イエスにある誇りをもって 』 聖書  コリントの信徒への手紙 第一 15:29-34、エレミヤ書9:22-23 日時 2015年4月26日(日) 礼拝 場所 日本ナザレン教団・小岩教会 【何を誇りとして生きているか?】 「あなたが誇りとするものとは何ですか?」と問い掛けられたら、 どのように答えるでしょうか。 ある人は、自分の能力を誇り、 またある人は、経済的な豊かさを誇るでしょう。 社会的な地位を誇る人もいれば、 自分の家族や、自分の生まれ故郷を誇る人もいます。 何を誇りとして生きているかは、人それぞれです。

説教#65:「神の国を待ち望む」

『 神の国を待ち望む 』 聖書  コリントの信徒への手紙 第一 15:20-28、イザヤ書65:17-25 日時 2015年4月19日(日) 礼拝 場所 日本ナザレン教団・小岩教会 【変化を切望するとき】 私たちは、生きていく中で、変化を求める時があります。 もちろん、悪い変化ではなく、良い変化です。 辛く、苦しい状況がずっと続いているときは、 そこから抜け出すという変化を求めます。 それは試験勉強であったり、友達付き合いであったり、 仕事や家庭で起こったトラブルであったりします。 困難に直面した時、試練にあう時、 そして、自分の力ではどうしようもできない状況に陥る時、 状況が少しでも良くなってほしいと願い、私たちは変化を求めます。 今が、とても苦しいからです。

説教#64:「復活の主イエスに希望を置く」

『 復活の主イエスに希望を置く 』 聖書  コリントの信徒への手紙 第一 15:12-20、エレミヤ書17:5-10 日時 2015年4月12日(日) 礼拝 場所 日本ナザレン教団・小岩教会 【コリント教会の問題:死者の復活の否定】 パウロはコリント教会の人々に、「最も大切なこと」として、福音を伝えました。 あなたがたが受け入れ、生活の拠りどころとしている福音とは、 「キリストが私たちの罪のために死んで、葬られたこと」、 「キリストが三日目に復活したこと」、 そして、「復活の主キリストが多くの人々の前に現れたこと」である、と。 パウロは、この最も大切なことについて述べる際、 3点目のことである「復活の主キリストが多くの人々の前に現れたこと」を特に強調しました。 しかし、彼はこの手紙の15章全体では、2点目を強調しています。 確かに、キリストは死者の中から復活したのだ、と。 パウロは言います。 キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。(Ⅰコリ15:12) どうやら、コリントの教会では、死者の復活を否定する人々がいたようです。 これこそ、パウロがコリント教会へ宛てた手紙の中で、 キリストの復活というテーマについて触れなければならなかった理由です。 コリント教会が抱えていた問題は、私たちにとっても重要な問題です。 それは、常識と経験に基づいて物事を考えるならば、 キリストの復活などあり得ないことなのですから。 しかし、そのようなあり得ないことこそ、 私たちが受け取り、信じている「最も大切なこと」なのです。

説教#63:「最も大切なことをあなたがたに」

『 最も大切なことをあなたがたに 』 聖書  コリントの信徒への手紙 第一 15:1-11、イザヤ書53:8-10 日時 2015年4月5日(日) 礼拝 場所 日本ナザレン教団・小岩教会 【何を大切なこととして生きているのか?】 私たちは、何を「大切なこと」として生きているでしょうか? 家族の絆。 愛情深くあること。 挨拶をすること。 人に誠実であること、など。 きっと、人それぞれ色々な答えが返ってくるでしょうが、 誰もが、何らかのものを「大切なこと」として生活していることでしょう。 私たちが考える大切なことが、他の人から大切にされないとき、 私たちは失望や危機感、不快感といった感情を覚えることがあります。 しかし、私たちは常に正しいとは限りません。 常に「大切にすべきこと」を大切に出来ているとも限りません。 たとえば、愛情深くあることは、すべての人にとって共通の大切なことでしょう。 しかし、私たちは、打算的に、自己中心的に生きることが多くあります。 思い違いによって、間違えることもあれば、 自ら進んで、大切なことを大切にしないこともあります。 「大切なこと」。 それは、教会やクリスチャンにとってもあります。 では、教会にとって「最も大切なことは何か?」と問われたら、 一体何と答えるべきなのでしょうか? パウロは、コリントの教会に送った手紙の15章で、この問いに答えているのです。 教会にとって、そして、クリスチャンにとって、最も大切なことについて、 彼は力強く語っているのです。